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2020.07/05 [Sun]
多賀大社(1)反り橋~絵馬殿
滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する多賀大社を紹介します。
多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれ、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。

式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあり、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされています。

天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い、1万石を寄進しました。

大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営された石造りの反り橋は、このことから、「太閤橋」の雅名でも呼ばれています(正しくは太鼓橋)。



反り橋を渡って神門をくぐります。


手水舎

神馬舎


手前が拝殿。その奥が神楽殿。
さらに奥が本殿。

社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。
本殿右に能舞台

左に絵馬殿が立っています。


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多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれ、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。

式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあり、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされています。

天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い、1万石を寄進しました。

大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営された石造りの反り橋は、このことから、「太閤橋」の雅名でも呼ばれています(正しくは太鼓橋)。



反り橋を渡って神門をくぐります。


手水舎

神馬舎


手前が拝殿。その奥が神楽殿。
さらに奥が本殿。

社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。
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NoTitle
神道とは何かをここから始めたので
日本の夜明けを調べる最初の頃だったな。
郡は今はほとんど残ってないので
私はブログで地名を書くときは郡は省略してますが
流石しずかさんは真面目だな。
応援!