Entries
2012.01/20 [Fri]
文覚が再興した神護寺
昨年の11月、京都の高尾に紅葉狩りに出かけて来ました。

神護寺は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。

開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。
しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。

寺宝として、伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像があり、12世紀末の似絵の名手藤原隆信の作とされていますが、1995年に頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、論争が続いています。





この日は祝日に当たり、多くの観光客が訪れていました。
部分的には真っ赤に紅葉しているところもありましたが、見頃まではもう少しという感じでした。
(撮影 11月23日)
F2ブログランキングに参加しています。
クリックよろしくお願い致します。


神護寺は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。

開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。
しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。

寺宝として、伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像があり、12世紀末の似絵の名手藤原隆信の作とされていますが、1995年に頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、論争が続いています。





この日は祝日に当たり、多くの観光客が訪れていました。
部分的には真っ赤に紅葉しているところもありましたが、見頃まではもう少しという感じでした。
(撮影 11月23日)
F2ブログランキングに参加しています。
クリックよろしくお願い致します。

スポンサーサイト
神護寺!
之は大問題ですね!この論争何処かで一度読んだことがありますが、決定的ではないと思っていますが?
どうでしょうかね!