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2018.09/23 [Sun]
江戸薩摩藩上屋敷跡
江戸薩摩藩邸焼討事件は、薩摩藩が江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃したため、慶応3年12月25日(1867年)江戸の三田にある薩摩藩の江戸藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃され、砲火により焼失した事件です。
1867年(慶応3)10月ころから、西郷隆盛の指示で小島四郎(相楽総三(さがらそうぞう))らは浪士数百名を同藩邸に糾合、「御用盗」なる名目で市中およびその周辺で辻斬(つじぎ)り、強盗火付けをはたらき攪乱(かくらん)工作を行った。この挑発行為を憤慨した市中取締の庄内(しょうない)藩兵を中心に幕府・諸藩兵は、12月25日早朝薩摩藩邸と支藩佐土原藩邸を襲い、焼打ちした。薩藩留守居役(るすいやく)篠崎彦十郎(ひこじゅうろう)ら数十名が闘死、浪士取締益満休之助(ますみつきゅうのすけ)は捕らえられ、伊牟田尚平(いむたしょうへい)、小島らは藩船翔鳳(しょうほう)丸で兵庫まで逃走した。この報が大坂城中の旧幕臣、会津・桑名藩士らに伝わるや鳥羽・伏見の戦いが始まった。(コトバンクより)
江戸の薩摩藩上屋敷跡は、現在はNEC本社ビル(日本電気株式会社)となっています。(東京都港区)
ビルの北側道路沿いに石碑があります。
また、この上屋敷は、島津斉彬が生まれた場所でもあります。
そして斉彬の養女となった篤姫が13代将軍・徳川家定に嫁ぐために薩摩を出て、輿入り前に暮らし始めた場所でもあります。
え?一瞬、なんで西郷どんが?と思いましたが
よく見ると、西郷どんの通称「吉之介」でなく「吉之助」でした(^_^;
この書は、西郷どんのお孫さんの吉之助さんによるものだそうです。
このNEC本社ビルから三井住友信託銀行芝ビル、セレスティンホテル一体が薩摩屋敷だったようです。
三井住友信託銀行芝ビル
セレスティンホテル
今日の「西郷どん」は、久しぶりに篤姫が登場しますね。
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1867年(慶応3)10月ころから、西郷隆盛の指示で小島四郎(相楽総三(さがらそうぞう))らは浪士数百名を同藩邸に糾合、「御用盗」なる名目で市中およびその周辺で辻斬(つじぎ)り、強盗火付けをはたらき攪乱(かくらん)工作を行った。この挑発行為を憤慨した市中取締の庄内(しょうない)藩兵を中心に幕府・諸藩兵は、12月25日早朝薩摩藩邸と支藩佐土原藩邸を襲い、焼打ちした。薩藩留守居役(るすいやく)篠崎彦十郎(ひこじゅうろう)ら数十名が闘死、浪士取締益満休之助(ますみつきゅうのすけ)は捕らえられ、伊牟田尚平(いむたしょうへい)、小島らは藩船翔鳳(しょうほう)丸で兵庫まで逃走した。この報が大坂城中の旧幕臣、会津・桑名藩士らに伝わるや鳥羽・伏見の戦いが始まった。(コトバンクより)
江戸の薩摩藩上屋敷跡は、現在はNEC本社ビル(日本電気株式会社)となっています。(東京都港区)
ビルの北側道路沿いに石碑があります。
また、この上屋敷は、島津斉彬が生まれた場所でもあります。
そして斉彬の養女となった篤姫が13代将軍・徳川家定に嫁ぐために薩摩を出て、輿入り前に暮らし始めた場所でもあります。
え?一瞬、なんで西郷どんが?と思いましたが
よく見ると、西郷どんの通称「吉之介」でなく「吉之助」でした(^_^;
この書は、西郷どんのお孫さんの吉之助さんによるものだそうです。
このNEC本社ビルから三井住友信託銀行芝ビル、セレスティンホテル一体が薩摩屋敷だったようです。
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- [西郷どん:西郷隆盛(西郷どん)]
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