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2018.11/19 [Mon]
日坂宿の川坂屋(1)西郷従道、山岡鉄舟の書
掛川市の川坂屋は、旧東海道の日坂宿にある旧旅籠の建物で、掛川市指定の有形文化財建造物です。

寛政年間に問屋役を務めていた斉藤次右衛門が始めたと伝わり、1852年(嘉永5年)の大火後に再建され、江戸時代の面影を残す貴重な建物のひとつです。

精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、江戸より棟梁を招いたといわれています。

日坂宿の旅籠である萬屋は、庶民が宿泊したのに対して、川坂屋は身分の高い武士や公家が宿泊する格の高い旅籠でした。
1862年(文久2年)の「宿内軒並取調書上帳」によると、「間口六間、畳五拾八畳半、板鋪六畳、奥行拾三間」と記録されています。

明治初頭に一旦廃業後も明治3年(1870年)まで要人に宿を提供したことから、山岡鉄舟、巌谷一六、西郷従道などの書が残されています。
1993年(平成5年)まで住居として使用。
2000年(平成12年)に修理工事が完了して、翌年、市の有形文化財建造物に指定されました。

西郷従道の書


ここから二階に上がります。




山岡鉄舟の書












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明治初頭に一旦廃業後も明治3年(1870年)まで要人に宿を提供したことから、山岡鉄舟、巌谷一六、西郷従道などの書が残されています。
1993年(平成5年)まで住居として使用。
2000年(平成12年)に修理工事が完了して、翌年、市の有形文化財建造物に指定されました。

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