白河法皇・鳥羽法皇院政の地

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京都市伏見区竹田浄菩提院町、鳥羽天皇陵の向かい側、安楽寿院の入り口辺りに、白河法皇・鳥羽法皇院政の地の石碑があります。

白河・鳥羽法皇院政の地 B

白河上皇は57年にわたり、政治の実権を握り、鳥羽離宮を造営しました。

白河天皇は後三条天皇の第一皇子で、1072年に後三条天皇から譲位され、第72代天皇となりましたが、1086年に子の善仁親王(堀河天皇)に譲位して上皇となり、実質的に最高権力者の地位を維持し続ける院政を開始しました。

上皇が出家した場合は「法皇」と呼ばれますが、白河上皇も1096年に法皇となり、白河院政は1129年まで続きました。

以後堀河・鳥羽・崇徳の三代にわたり40年以上も院政をしきました。

鳥羽天皇は、堀川天皇の第一皇子として誕生し、わずか生後7か月で皇太子となりました。
父・堀河天皇の死後、5歳で即位。
天皇在位中は、祖父である白河による院政の時期で、子の顕仁が白河と待賢門院璋子との間に生まれたと噂され、
1123年、白河により顕仁親王(崇徳天皇)に譲位させられ、白河と対立を深めるようになりました。

院政の中心機関は、院庁で、命令は院に発する下文によって通達されました。
南殿、北殿、東殿が造られ、田中殿は、鳥羽上皇の時代、馬場殿の北に造営されました。
上皇院政の鳥羽は、平安京の正庁にあたり、平氏・源氏らの武士が警護にあたり、北面の武士と呼ばれました。

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