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2019.01/19 [Sat]
勝海舟・坂本龍馬師弟像と勝安房邸阯
昨年末、赤坂に2016年に建てられたという「勝海舟・坂本龍馬師弟像」を見に行って来ました。
勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷跡で、平成5年まで港区立氷川小学校として使われていましたが、その後「サン・サン赤坂」(港区立特別養護老人ホーム)と「赤坂こども中高生ひろば」になっています。
この銅像の後ろに「勝安房邸阯」の碑が建っています。
明治2年(1869年) 7月13日、勝は諱を安芳と改めました。
晩年の海舟は、ほとんどの時期を赤坂氷川の地で過ごし、政府から依頼され、資金援助を受けて『吹塵録』(江戸時代の経済制度大綱)、『海軍歴史』、『陸軍歴史』、『開国起源』、『氷川清話』などの執筆・口述・編纂に当たりました。
東京都指定 旧跡
勝安房邸跡
この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な『氷川清話』などを遺しました。その時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成5年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校になったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成15年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生プラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展示されています。
港区
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勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷跡で、平成5年まで港区立氷川小学校として使われていましたが、その後「サン・サン赤坂」(港区立特別養護老人ホーム)と「赤坂こども中高生ひろば」になっています。
この銅像の後ろに「勝安房邸阯」の碑が建っています。
明治2年(1869年) 7月13日、勝は諱を安芳と改めました。
晩年の海舟は、ほとんどの時期を赤坂氷川の地で過ごし、政府から依頼され、資金援助を受けて『吹塵録』(江戸時代の経済制度大綱)、『海軍歴史』、『陸軍歴史』、『開国起源』、『氷川清話』などの執筆・口述・編纂に当たりました。
東京都指定 旧跡
勝安房邸跡
この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な『氷川清話』などを遺しました。その時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成5年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校になったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成15年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生プラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展示されています。
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