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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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土佐の旅(121)島浪間の墓

雪蹊寺の西側には、勤王の志士・島浪間の墓があります。

IMG_1040 島浪間の墓

IMG_1044 島浪間の墓

IMG_1043 島浪間の墓

幕末の志士、通称を浪間または並馬、字を義親、天保十四年 ( 1843 ) 長浜村塩谷 ( 現高知市長浜 ) に父興助 ( よすけ ) 重親の二男として生まれました。
遠祖は長宗我部元親の弟の島弥九郎親益で、浪間は長宗我部四郎を一時名乗っていました。
文久三年 ( 1863 ) 八月、吉村虎太郎らと天誅組の義挙に参加しました。
その後元治元年 ( 1864 ) 十一月、井原応助、千屋金策、備前岡山の岡本太郎 ( 山本嘉太郎 ) らと中国路諸藩の遊説を計画、備前美作 ( みまさか ) 土居の関門で賊徒に間違われ、遂に進退に窮し浪間は井原と刺し違えて自害しました。
時に慶応元年 ( 1865 ) 二月二十二日、二十三歳。
贈正五位、墓は岡山県英田 ( あいだ ) 郡作東町、土居小学校の隣りにあります。
殉難の地には記念碑があり、地元では「土井の四つ塚様」と呼び供養しているそうです。

島浪間
1843-1865 幕末の武士。
天保(てんぽう)14年7月生まれ。土佐高知藩士。藩命により三条実美(さねとみ)の衛士となる。脱藩して天誅(てんちゅう)組の大和挙兵にくわわり,敗れて中山忠光(ただみつ)と長門(ながと)(山口県)にのがれる。井原応輔(おうすけ)らと中国諸藩を遊説中,美作(みまさか)(岡山県)英田郡土居で賊と誤解されて包囲され,元治(げんじ)2年2月22日自刃(じじん)。23歳。名は義親(よしちか)。長宗我部四郎とも称した。 (コトバンクより)

忠魂碑
IMG_1041 忠魂碑

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Comment

NoTitle 

行く時は1日に何ヶ所の
お墓詣りに行くのでしょう?
応援!

NoTitle 

島浪間については初めて知りました。彼のように多くの勤王の志士が若くして亡くなっていますね!
  • posted by willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2019.09/02 05:43分 
  • [Edit]

NoTitle 

当時の武士にとって
脱藩するというのは
今でいえば国籍を失うような
ものだったのかなぁ。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2019.09/02 19:49分 
  • [Edit]

NoTitle 

今日から外に出ています。
この方も若かったのですね。
応援ポチ2
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2019.09/02 22:13分 
  • [Edit]

こんばんは 

こんばんは。
勤王の志士ですか。
幕末にはこういったたくさんの武士たちが躍動したのでしょうね。
タイムトラベルをしてみてみたいものです。
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2019.09/02 22:35分 
  • [Edit]

皆様へ 

私も島浪間については、この下調べで初めて知りました。
まだまだ歴史の表舞台に立っていない人たちを勉強していかなければ!と思いました。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2019.09/03 07:27分 
  • [Edit]

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