Entries
2019.11/07 [Thu]
岩国の旅(17)永興寺(ようこうじ)
永興寺は、吉川家墓所に隣接する臨済宗の寺院です。

永興寺は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に大内弘幸によって創建されました。
弘幸の子・弘世は、父の菩提を弔うために七堂伽藍を整備し、寺領も大きく広げていきましたが、関ヶ原合戦で毛利軍が敗れた後、慶長五5(1600)年に岩国に移ってきた吉川広家が、横山一帯に上屋敷を改営するのに、永興寺の居館の解体や境内用地を転用したため、一時は廃寺同様となってしまいます。

しかし、慶長の末、周伯玄雍(しゅうはくげんよう)により、永興寺の再興を吉川広家に懇願し、元和二(1616)年に再興されました。
その後、明治に入り、廃仏毀釈により、再び伽藍を縮小されました。
庭園は枯山水庭園の例として貴重とされ、岩国市指定文化財です。

(永興寺HPより)
にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村
歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m

歴女日記 ブログランキングへ

永興寺は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に大内弘幸によって創建されました。
弘幸の子・弘世は、父の菩提を弔うために七堂伽藍を整備し、寺領も大きく広げていきましたが、関ヶ原合戦で毛利軍が敗れた後、慶長五5(1600)年に岩国に移ってきた吉川広家が、横山一帯に上屋敷を改営するのに、永興寺の居館の解体や境内用地を転用したため、一時は廃寺同様となってしまいます。

しかし、慶長の末、周伯玄雍(しゅうはくげんよう)により、永興寺の再興を吉川広家に懇願し、元和二(1616)年に再興されました。
その後、明治に入り、廃仏毀釈により、再び伽藍を縮小されました。
庭園は枯山水庭園の例として貴重とされ、岩国市指定文化財です。

(永興寺HPより)
にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!
にほんブログ村
歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m
歴女日記 ブログランキングへ
スポンサーサイト


Comment
Comment_form