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2012.04/12 [Thu]
神戸の源平史跡を訪ねて(24)氷室神社
神戸の市バスの夢野3丁目のバス亭を降り、坂道を北へ上って行くと、住宅地に囲まれた神社が見えてきます。


この神社には、仁徳天皇が祀られています。
氷室神社の由来は、日本書紀によれば、約1600年前、仁徳天皇の異母兄・額田大中彦皇子が狩をしていた時、洞窟を発見し、村長に話したところ、「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、仁徳天皇に氷を献上したことからきているそうです。


「平家物語」によれば、源義経が、三草山の戦いで、勝利したことを知った平教経が、氷室神社へ本陣を置いたとされ、ここにあった井戸を「陣場の井」と呼びました。
この付近は教経の別邸があったところと伝えられ、後白河法皇が幽閉されていたことがあります。
また、教経の兄・通盛とその妻・小宰相がこの地で今生の名残りを惜しんだことから、縁結びの神様としても人気を集めています。


また、弁財天の祠は、清盛が勧請した七つの厳島神社のひとつともいわれています。
神社の奥へ進んで行くと、今でも氷室が残っているそうですが、肝心なものを見逃してしまいました。
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この神社には、仁徳天皇が祀られています。
氷室神社の由来は、日本書紀によれば、約1600年前、仁徳天皇の異母兄・額田大中彦皇子が狩をしていた時、洞窟を発見し、村長に話したところ、「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、仁徳天皇に氷を献上したことからきているそうです。


「平家物語」によれば、源義経が、三草山の戦いで、勝利したことを知った平教経が、氷室神社へ本陣を置いたとされ、ここにあった井戸を「陣場の井」と呼びました。
この付近は教経の別邸があったところと伝えられ、後白河法皇が幽閉されていたことがあります。
また、教経の兄・通盛とその妻・小宰相がこの地で今生の名残りを惜しんだことから、縁結びの神様としても人気を集めています。


また、弁財天の祠は、清盛が勧請した七つの厳島神社のひとつともいわれています。
神社の奥へ進んで行くと、今でも氷室が残っているそうですが、肝心なものを見逃してしまいました。
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熊野神社・平盛俊塚・氷室神社!
オーロラピアノのブログで見事な夙川の桜やお初天神の桜も拝見しました。
浜松の桜が一番早いようですね。近畿北部の綾部はやっと五分咲きです。