大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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源平合戦の講座

先日、地元で行われた源平合戦の講座を受講してきました。

講師はまたまたTVでもお馴染みの小〇田先生です。

源平合戦の行われた場所の地図の印刷物が配られ、富士川の戦い、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いに分けて、話が進められました。

以下、講座の内容です。

まずは頼朝の配流先・蛭ヶ島について

当時は蛭ヶ島と呼ばれ、後に蛭ヶ小島と呼ばれるようになった。
平安時代の蛭ヶ島一帯は水田で、湿地帯の中に島状にある微高地であったと推測される。
清盛は陸続きになっているところではなく、伊豆大島のような孤島だと思ってったのではないか。

以仁王について

以仁王は後白河天皇の第三皇子で、親王であるのに、清盛に嫌われていたため親王宣言ができなかった。
こういうことが平氏に反感を抱かせたのではないか。

富士川の戦いについて

富士川の戦いの前哨戦としての「鉢田の戦い」で甲斐源氏の活躍があったからこそ源氏が勝てたわけで、頼朝が中心で維盛を破ったという見方は行き過ぎではないか。

一の谷の戦いについて

「吾妻鏡」では、範頼軍52000、義経郡20000とあるが、実際はもっと少ないのでは。
戦いは短時間で済んだとなっているが、実際は6時間は戦っていたようだ。

屋島の戦いについて

義経と頼朝との不和は、後白河の作戦で、源氏を内部分裂させたのだろう。
暴風雨の中、義経の小舟団は、摂津から阿波までをたった4時間で走破した。
有名な逆櫓の争いは、「平家物語」の創作かも。
しかし、義経と梶原景時が揉めて、その後、二人が別行動をとったことは事実である。

壇ノ浦の戦い

海を得意とする平家、馬を操るのが得意な源氏
はじめは平家が優勢であったが、潮の流れが変わり、源氏が平家を追うような形となった。

その後の展開について

鎌倉幕府の成立については、頼朝が征夷大将軍になった1192年とされていたが、将軍がいなくても、守護、地頭が設置され、体制の整った1185年でいいのではないか。

「吾妻鏡」は一級資料であることには間違いないが、すべてを信用してはだめ。
勝った方が都合の良いように書くのは当たり前のことだから。

という内容ででした。

講座が終わっから質問タイムが少しだけあったのですが、残念ながら二人の受講者からの質問のみで終わってしまいました。
残念

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コメント

下記の1点を除いて同感です! 

 以仁王は後白河天皇の第三皇子で、親王であるのに、清盛に嫌われていたため親王宣言ができなかった。
 平清盛が嫌っていたとは始めて聞いたことですね!僕は後白河天皇が嫌っていたと思い込んでいました!

NoTitle 

面白いお話だったようですね。
清盛が伊豆大島のようなところと考えていたのではないかというのははじめて聞きました。

四方さんへ 

本当のところどうだっあのか、清盛に聞いてみたいですね(^_^;)
今のわたしたちは、過去の資料から推測する以外できませんものね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2012年06月28日 15時01分 
  • [編集]
  • [返信]

YUMIさんへ 

私もその話は初めて聞きました。
当時は今のように地形がわかっていなくて
島と名が付けば孤島だと思っていたのでしょうね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2012年06月28日 15時03分 
  • [編集]
  • [返信]

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