大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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二条天皇と仁和寺

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二条天皇は、後白河の第一子で、母である藤原懿子が出産直後に急死したことため、祖父・鳥羽法皇に引き取られ、美福門院に養育されました。

既に近衛天皇が即位しており、同じく美福門院の養子として、崇徳上皇の長男の重仁親王がいたため、皇位継承の望みは薄く、僧侶となるために、9歳で伯父の覚性法親王(父・鳥羽院、母・待賢門院)のいる仁和寺に入りました。

しかし、近衛天皇の死去に伴い、鳥羽法皇の意向により、還俗して皇位継承者とされます。
そして父・後白河天皇の即位に伴い、親王宣下を受け、次いで立太子となりましたが、これが叔父である崇徳上皇らの怒りを買って、保元の乱の原因ともなりました。

1158年、後白河天皇から譲位され、第78代二条天皇となりました。
美福門院に育てられたため、父である後白河との関係は冷たい間柄だったといいます。

二条親政派と後白河院政派の対立が始まり、平治元年(1159年)の平治の乱では、反乱軍により、二条天皇は黒戸御所に幽閉されますが、親政派と平清盛との策謀により清盛の六波羅邸へ避難しました。

「平家物語」によると、女房車の中を覗いた武士が、二条天皇を女房と見間違えるほど、女性のようなお顔立ちをしていたといいます。
(「平治物語」では、二条天皇を女装させ、脱出されたとありますが、「愚管抄」では、女性用の女房車に乗ったということになっています。)

仁和寺は、真言宗御室派大本山。
宇多天皇の仁和四年(888年)に完成したことから、仁和寺と名づけられ、宇多天皇は退位後、法王としてこの寺に在位しました。
以後、朝廷ゆかりの寺として歴代皇子が住職を継承する門跡寺となり「御室御所」と呼ばれました。

春は遅咲きの御室桜、秋は紅葉で賑わいます。

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コメント

NoTitle 

仁和寺は素敵なお寺ですよね。
紅葉の綺麗な時に行かれたのですね。
御室桜も見てみたいです。

YUMIさんへ 

私は紅葉と桜の時期に行きました。
でも御室桜は遅咲きなので、毎年時期が合わず、いまだに見たことはありません。
いつか機会があると良いのですが。
  • しずか 
  • URL 
  • 2012年07月26日 10時52分 
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