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大河ドラマに恋して

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大原の後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵

2019年の秋、紅葉狩りの季節の大原を訪ねました。

大原には、承久の乱で敗れ、配流先で亡くなった後鳥羽上皇順徳天皇の陵墓があります。

三千院の参道を北に進んでいき、三千院を通り過ぎると、左手に実光院があります。

その向かい側の小高いところに、後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵があります。

img_5251 後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵

img_5257 後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵

後鳥羽天皇大原陵
img_5258 後鳥羽天皇大原陵

順徳天皇大原陵
img_5259 順徳天皇大原陵

隠岐に流された後鳥羽上皇は,18年間のわびしい生活ののち,同地で没した。
隠岐で火葬され,遺骨は山城の大原に移された。御陵は京都市左京区の大原陵であり,島根県隠岐郡海士町には火葬塚がある。
(コトバンクより)

後鳥羽天皇
800px-Emperor_Go-Toba.jpg

後鳥羽院は隠岐に流される直前に出家して法皇となった。
『明月記』の記録によると、文暦2年(1235年)の春頃には摂政・九条道家が後鳥羽院と順徳院の還京を提案したが、北条泰時は受け入れなかった。

四条天皇の御代の延応元年(1239年)2月22日、配所にて崩御した。享年60。同年5月、「顕徳院」と諡号が贈られた。
『平戸記』によると泰時が死亡した仁治3年(1242年)の6月に、九条道家が追号を改めることを提案し、あらためて「後鳥羽院」の追号を贈ることとなった[11]。ただし、これを提案したのは土御門定通とする説もある。
後高倉皇統の断絶によって後嵯峨天皇(土御門院皇子)の即位となった仁治3年(1242年)7月には正式に院号が「後鳥羽院」とされた。
(Wikipediaより)

順徳天皇は、崩御翌日に佐渡真野山にて火葬されたが、寛元元年(1243年)4月に遺骨は都に持ち帰られ、翌月に後鳥羽院の大原法華堂の側に安置された。
堂は後に荒廃して所在も不明となったが、元禄探陵の際に当所が陵に擬定され、明治22年(1889年)正式に治定された。

順徳天皇
800px-Emperor_Juntoku_large.jpg

鎌倉前期の天皇。諱 は守成。在位は承元4(1210)~承久3(1221)。後鳥羽天皇の第3皇子。
母の修明門院重子は後鳥羽を養育した従二位(贈左大臣正一位)藤原範季の娘で,二条局と称して後鳥羽に仕え,寵を得て愛妃となった。
その母が後鳥羽の腹心の女房卿二位の養女であったために,順徳は卿二位邸で誕生し,正治1(1199)年に3歳で父院の御所に引き取られるまで,卿二位に育てられたとみられる。同年11月親王となり,翌2年4月東宮となる。承元2(1208)年12月元服。同4(1210)年11月,14歳で即位。この間,父と同居したが,しばしば乳父藤原範光邸を御所とした。即位後の内裏は閑院であった。在位中は後鳥羽の院政下であったため,政務にあずかることはなく,有職故実の研究や,和歌,詩,管弦など芸能の修練に傾倒した。著書に,内裏の公事・故実,天皇や側近のあり方などを記した『禁秘鈔』や従来の歌論を集大成した『八雲御抄』などがある。後鳥羽上皇の討幕計画(承久の乱)に参画し,それに備えるため乱の直前の承久3(1221)年4月,東宮懐成(仲恭天皇)に譲位した。しかし乱の敗退で同年7月佐渡に配流され,配所で崩じた。
配流後は佐渡院と称されたが,建長1(1249)年,順徳院と追号された。(コトバンクより)



怨霊説

配流後の嘉禎3年(1237年)に後鳥羽院は「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう。
我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。
もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」との置文を記した。
また同時代の公家平経高の日記『平戸記』には三浦義村や北条時房の死を後鳥羽院の怨霊が原因とする記述があり、
怨霊と化したと見られていた。
顕徳院から後鳥羽院への追号の変更はそうした怨霊説の払拭の意味もあったと考えられているが、
別の角度からの見方として怨霊説は後鳥羽院が生前に志向していた順徳天皇系による皇位継承には有利な言説で、
土御門天皇系である後嵯峨天皇の即位に対する批判の根拠に成り得たからとする説もある。(Wikipediaより)

img_5254 大原陵

img_5255 大原陵

img_5252 大原陵

大原陵の周りも美しい紅葉に囲まれていました。


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Comment

NoTitle 

こんにちは。
またまた知らない話をこうして、
細かく教えていただいた記事拝見すると、
なんだか得した気分になる。
ただその時だけ脳に入っても、
すぐ忘れてしまいますからダメですが・・。
ありがとうございます。🤩
  • posted by  
  • URL 
  • 2022.12/21 10:21分 
  • [Edit]

こんばんは 

こんばんは。
しかし凄い時代ですよね。
天皇が島流しにあってしまうのですから。
今の時代がいかに平和かですかね。
これからはまた分からないですが。
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2022.12/21 20:12分 
  • [Edit]

NoTitle 

私は子供だった頃
「京都〜 大原〜 三千院〜」と歌う
デュークエイセスの歌を
「京都 大原 三千円」だと思っていました。

ああ、情けない。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2022.12/21 21:30分 
  • [Edit]

NoTitle 

後鳥羽上皇も、島で後の人生を過ごされたのですね。
応援ぽち3.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2022.12/21 22:30分 
  • [Edit]

皆様へ 

こんばんは!
今日もコメントありがとうございました。

本当に天皇が島流しに遭ったなんて、今では信じられない時代です。
幕府と朝廷の力関係は、時代によって変わっていきましたね。
隠岐で晩年を過ごすことになった上皇、島民と仲良く過ごしたと聞きますが、内心は京に戻りたかったでしょうね。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2022.12/21 22:38分 
  • [Edit]

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