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2022.10/17 [Mon]
藤原定家ゆかりの嵯峨野(1)厭離庵
大河ドラマでは、源実朝の和歌の師匠が藤原定家になりましたね。
これから益々和歌に傾倒していくようです。
京都の嵯峨野は、平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの遊猟、行楽地でした。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、以後貴族・文人などにより、山荘や寺院が次々と建てられました。
藤原定家がこの地に小倉百人一首を編纂したとされる小倉山の山荘「時雨亭跡」とされる遺跡が、厭離庵、二尊院、常寂光寺に残っています。
2012年の秋のことですが、厭離庵(えんりあん)を訪ねてみました。
入り口を見つけるのにかなりうろうろしてしまい、郵便屋さんに教えてもらいました。
民家と民家の間の狭い小路を入っていくと、門が見えます。

普段は非公開ですが、秋に「特別一般拝観」が実施されます。

定家の山荘跡とされていますが、後に荒廃し、安永年間(1772~81)に冷泉家が再興、霊元法皇から厭離庵の寺号を得て、臨済宗天龍寺派の寺院となりました。

その後また衰え、現在の本堂、茶室の時雨亭は、明治43年、白木屋社長・大村彦太郎氏によって建立され、山岡鉄舟の娘・素心尼が住職され以後尼寺となりました。

境内には書院の他、時雨亭・柳の水(硯の水)、定家塚(定家卿墳遥拝所)や定家の嗣子である為家の墓(藤原為家卿之墓)が残されています。
時雨亭


本堂

本尊は如意輪観音。
開山の霊源禅師像、西行法師像など安置されています。
定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれている井戸

定家塚


紅葉を頭に載せてるクマさんにほっこり




12月初旬でしたが、散り紅葉を楽しむことができました。
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京都の嵯峨野は、平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの遊猟、行楽地でした。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、以後貴族・文人などにより、山荘や寺院が次々と建てられました。
藤原定家がこの地に小倉百人一首を編纂したとされる小倉山の山荘「時雨亭跡」とされる遺跡が、厭離庵、二尊院、常寂光寺に残っています。
2012年の秋のことですが、厭離庵(えんりあん)を訪ねてみました。
入り口を見つけるのにかなりうろうろしてしまい、郵便屋さんに教えてもらいました。
民家と民家の間の狭い小路を入っていくと、門が見えます。

普段は非公開ですが、秋に「特別一般拝観」が実施されます。

定家の山荘跡とされていますが、後に荒廃し、安永年間(1772~81)に冷泉家が再興、霊元法皇から厭離庵の寺号を得て、臨済宗天龍寺派の寺院となりました。

その後また衰え、現在の本堂、茶室の時雨亭は、明治43年、白木屋社長・大村彦太郎氏によって建立され、山岡鉄舟の娘・素心尼が住職され以後尼寺となりました。

境内には書院の他、時雨亭・柳の水(硯の水)、定家塚(定家卿墳遥拝所)や定家の嗣子である為家の墓(藤原為家卿之墓)が残されています。
時雨亭


本堂

本尊は如意輪観音。
開山の霊源禅師像、西行法師像など安置されています。
定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれている井戸

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