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2022.10/19 [Wed]
藤原定家ゆかりの嵯峨野(3)二尊院
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したとされています。
総門

慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。
総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られています。

約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられており、秋は赤、黄、緑の紅葉のトンネルを魅せてくれます。



勅使門 (唐門)

天皇の意志を伝えるために派遣される使いの「勅使」が出入りする際に使われていた勅使門。
弓を横にしたような形で中央が高い「唐破風形」の屋根をしています。
永正18年(1521年)三条西実隆によって再建されました。

勅使門からのぞく紅葉もまた素晴らしいです。
二尊院の山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といい、二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。
本堂

二尊を安置してある本堂は、永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建されました。
本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。

本堂を取り巻く庭園




こちらの二尊院にも、藤原定家が営んだ時雨亭跡と伝わる場所があります。


ここから京の街が一望できます。


近年人気の花手水鉢

紅葉の馬場を抜けて出口へ。

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総門

慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。
総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られています。

約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられており、秋は赤、黄、緑の紅葉のトンネルを魅せてくれます。



勅使門 (唐門)

天皇の意志を伝えるために派遣される使いの「勅使」が出入りする際に使われていた勅使門。
弓を横にしたような形で中央が高い「唐破風形」の屋根をしています。
永正18年(1521年)三条西実隆によって再建されました。

勅使門からのぞく紅葉もまた素晴らしいです。
二尊院の山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といい、二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。
本堂

二尊を安置してある本堂は、永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建されました。
本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。

本堂を取り巻く庭園




こちらの二尊院にも、藤原定家が営んだ時雨亭跡と伝わる場所があります。


ここから京の街が一望できます。


近年人気の花手水鉢

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