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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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源実朝の後室・西八条禅尼ゆかりの本覚寺

京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信清の娘の坊門信子(西八条禅尼)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。

本覚寺1

本覚寺は、光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。

本覚寺2

本覚寺3

本覚寺4

本覚寺5

山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで、今この辺を本塩竃町という。寺伝によれば、初め西八条の遍照心院(1名、大通院)内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとったものである。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ、末寺14を有する本山となった。その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、天正19年(1591)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。

下京区富小路通五条下る本塩竈町



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Comment

NoTitle 

「上る」「下る」「東入る」「西入る」…

上京区、中京区、下京区にはこういう地名が
今も数多く残っていますね。
面倒で非合理的な長い地名が多い京都ですが
そういう地名を残すのが京都の良さですね。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2022.12/02 20:58分 
  • [Edit]

NoTitle 

お寺の名前は法名からだったのですね。
応援ぽち3.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2022.12/02 22:21分 
  • [Edit]

こんばんは 

こんばんは。
「竈」と言う字は「かまど」でしたっけ?
難しい字ですよね。
この町名は何と読むのですかね。
ほんしおかまどちょう、でしょうか。
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2022.12/02 22:32分 
  • [Edit]

皆様へ 

こんばんは😃🌃
今日もコメントありがとうございました。

本塩竈町(もとしおがまちょう)と読むそうです。
京都の地名には、難読漢字が多いですね。それも京都検定で勉強しました。知らないと、当てずっぽうでは読めない漢字ばかりでした😅
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2022.12/03 01:47分 
  • [Edit]

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