大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Entries

清盛邸の跡地・西八条第跡

清盛の広大な邸宅があった西八条第跡を追って歩いてみました。

IMG_6921 B

現在、西八条第跡は、京駅からほど近い梅小路公園となっており、市民の憩いの場をなっています。

IMG_6922 B

IMG_6929 B

IMG_6930 B

最近はこの中に京都水族館ができて話題になりましたね。

西八条第は、平家一門の邸宅群のあった場所で、それを総称して「西八条第」(「八条亭」とも)と呼びました。

清盛だけではなく、他の平家一門もここに邸宅を構えていました。
平安京左京八条一坊の東を大宮大路、西を坊城小路、北を八条坊門小路、南を八条大路で囲まれた区域にありました。広さは一般に6町(八条一坊五町・六町・十一町・十二町・十三町・十四町)とされますが、一時期は八条一坊三町含む7町あったとする説もあります。

現在の地名では、下京区の観喜寺町、八条坊門町、南区の八条坊門町、八条町に当たり、梅小路公園の「芝生広場」やJRの線路などに重なります。梅小路公園は平安建都1200年を記念し、1995(平成7)年オープンしましたが、埋蔵文化財の発掘調査で、西八条第の一部とみられる遺構が発見されました。このため、公園敷地には京都市営地下鉄(東西線)などの工事で生じた残土を盛り(厚さ約1.5縲怩Um)、遺構を壊さないよう造成が行われました。
(京都市都市緑化協会サイトより)

私はこの梅小路公園を今まで三度訪れているのですが、その時はこの案内板を見つけることができませんでした。
今回やっと見つけることができました。

IMG_6923 B

IMG_6924 B

IMG_6925 B

河原遊び場付近にあります。

朱雀の庭入口

IMG_6932 B

また朱雀の庭には、この石碑があるそうです。

朱雀の庭

(京都市都市緑化協会サイトより)


出家後の清盛は、摂津福原(神戸市兵庫区)にいることが多かったので、清盛の妻の時子がここを守っていたそうです。
養和元年(1181)閏2月4日、清盛が64歳で没した2日後、放火による火災に遭い、寿永2年(1183)7月25日、平家一門が木曽義仲によって平安京から追われる際に、自ら火を放ち、邸宅は残すところなく焼失しました。

西八条第跡

西八条第は八条亭とも呼ばれ、平安時代後期、平清盛が平安京の八条壬生に構えた六町を有する広大な邸宅で、仁安(にんあん)元年(1166)頃に造営されたとする。
その跡地は下京区歓喜寺町・八条坊門町、南区八条坊門町・八条町に当たる。
「平家物語」によると、清盛が邸内の庭に蓬(よもぎ)を植えたところから蓬壷(ほうこ)とも呼ばれ、白拍子(しらびょうし)妓王(ぎおう)・妓女(ぎじょ)や仏御前(ほとけごぜん)の物語もこの邸宅での話しである。
清盛は仁安2年(1167)に太政大臣(だじょうだいじん)の位(くらい)を退いてから摂津福原(せっつふくはら)(神戸市兵庫区)に居を移したが、妻の二位尼(にいのあま)時子(ときこ)はここに住み、邸内に光明心院(こうみょうしんいん)を営んでおり、また、清盛も入洛の折はこの邸宅を使用している。
清盛は、安元(あんげん)3年(1177)6月の鹿ケ谷(ししがだに)山荘事件の後、この邸宅でその処分を決めている。
また、「山槐記(さんかいき)」によると、治承3年(1179)12月16日、高倉天皇中宮で、清盛の娘である建礼門院徳子(けんれいもんいんのりこ)が生んだ2歳の東宮(とうぐう)(皇太子)言仁(ときひと)親王(後の安徳天皇)がこの西八条第に行啓(ぎょうけい)し、清盛は終日微笑みを絶やさず、指を湿らし障子に穴をあけ、孫と戯(たわむ)れて感涙(かんるい)にむせんだとされる。
治承(じしょう)5年(1181)閏(うるう)2月4日に清盛は64歳で没し、その2日後、この邸で火災が発生した。「平安物語」巻六によると「玉を磨き金銀をちりばめて作られたりし西八条殿、其夜(そのよる)、にはかに焼けぬ。・・・放火とぞ聞こえし」と記され、大小50余りの建物が焼けたとされる。
「玉葉(ぎょくよう)」によると、のちに再建された建物も、寿永(じゅえい)2年(1183)7月25日、平家の都落ちに際して自ら火が放たれ邸宅は残すところなく灰燼(かいじん)に帰した。
文治(ぶんじ)元年(1185)、壇ノ浦(だんのうら)の合戦において安徳天皇は水死、平家はここに滅亡して、約400年間続いた平安時代は終わりを告げる。
西八条第跡の調査は、公園整備前の平成4・5年の春に行われ、柱跡や溝跡のほか、平安時代後期の土器とともに焼土や炭化遺物も出土しており、西八条第で火災があったことを裏付けている。
なお遺跡は盛土して保存されている。(案内板)

ここを歩いていた時、ゲリラ豪雨に見舞われ、稲光する中を歩いていました。
傘を差していたので、今思うととても危険な行為でした(^_^;)

F2ブログランキングに参加しています。
クリックよろしくお願い致します。




スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
117位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
18位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析

右サイドメニュー