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2023.03/18 [Sat]
家康軍が滞在した奥山方広寺
1568(永禄11)年頃から徳川家康の遠江進攻が始まり、家康は菅沼定盈と、菅沼忠久・近藤康用・鈴木重時ら
井伊谷三人衆に道案内をさせ、引佐奥山から奥山方広寺に立ち寄りました。
なぜ、方広寺だったかというと、そこの僧が家康に通じていたそうです。
家康軍8千は方広寺に二晩滞在。方広寺の僧徒は家康軍の滞在を喜び、人質まで出して恭順を示し、また住民たちは、食べ物や飲み物を用意して徳川軍をもてなしました。
家康は、方広寺の杉が気に入り、後になってからも、その杉のことを気にかけていたといいます。
奥山方広寺は、60ヘクタールの広大な敷地に、東海屈指の本堂、七尊菩薩堂、五百羅漢、半僧坊真殿、三重の塔などがあります。
この日は、三重塔の横にある本堂最寄りの駐車場まで車で行き、そこから歩いて回りました。
三重の塔



ここから本堂が見えます。


亀背橋

この橋を渡ると間もなく本堂です。

本堂は、明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので、間口32m奥行27mの東海屈指の建物です。

鐘楼

本堂内部

方広寺の境内には五百羅漢像が点在しています。

こちらは、羅漢の庭にある羅漢像です。
奥山半僧坊

亀背橋を渡り、下山していきます。




延命杉

家康が気に入っていたという杉は、この杉のことだったのでしょうか?
五百羅漢さまが点在してるので、自分に似た羅漢様を探しながら森林浴を満喫できます。


橋の上の羅漢様の数が見るときによって変わるという説があり、方広寺の不思議のひとつです。

仁王門

出世弁財天

総門

赤い大鳥居

この参道にあるお土産屋さんで売っている「金山寺味噌」がとっても美味しいんです。
ここへ来ると、必ず買って帰ります。
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井伊谷三人衆に道案内をさせ、引佐奥山から奥山方広寺に立ち寄りました。
なぜ、方広寺だったかというと、そこの僧が家康に通じていたそうです。
家康軍8千は方広寺に二晩滞在。方広寺の僧徒は家康軍の滞在を喜び、人質まで出して恭順を示し、また住民たちは、食べ物や飲み物を用意して徳川軍をもてなしました。
家康は、方広寺の杉が気に入り、後になってからも、その杉のことを気にかけていたといいます。
奥山方広寺は、60ヘクタールの広大な敷地に、東海屈指の本堂、七尊菩薩堂、五百羅漢、半僧坊真殿、三重の塔などがあります。
この日は、三重塔の横にある本堂最寄りの駐車場まで車で行き、そこから歩いて回りました。
三重の塔



ここから本堂が見えます。


亀背橋

この橋を渡ると間もなく本堂です。

本堂は、明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので、間口32m奥行27mの東海屈指の建物です。

鐘楼

本堂内部

方広寺の境内には五百羅漢像が点在しています。

こちらは、羅漢の庭にある羅漢像です。
奥山半僧坊

亀背橋を渡り、下山していきます。




延命杉

家康が気に入っていたという杉は、この杉のことだったのでしょうか?
五百羅漢さまが点在してるので、自分に似た羅漢様を探しながら森林浴を満喫できます。


橋の上の羅漢様の数が見るときによって変わるという説があり、方広寺の不思議のひとつです。

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- [どうする家康:徳川家康(どうする家康)]
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NoTitle
これはまた知らないところで、
じっくりと読ませていただき、
見せていただいて感激しているところです。
このような歴史に残るお寺さん。
奥山方広寺、興味わいてきました・・。🤩