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2023.04/10 [Mon]
家康が父の菩提を弔うため創建した松應寺
岡崎の松應寺は、徳川家康が父・松平広忠の菩提を弔うため創建したお寺です。
松應寺の境内は、昭和の時代まで花街として栄えていましたが、近年はほとんどが空き家となっていました。
そんな中、かつての賑わいを取り戻そうと松應寺横丁街づくり協議会が発足し活性化を開始し、いろんなお店ができてきたそうです。
松應寺横丁を通って松應寺の境内へと進んでいきます。

天文18年(1549)3月、岡崎城主・松平広忠は、城中で家臣の岩松八弥(いわまつはちや)に刺殺され、能見ヶ原の月光庵に埋葬されました。
同年11月、家康は今川方の人質として熱田から駿府へ向かう途中に月光庵に立ち寄り、その墓上に小松を植え、松平一族の繁栄を祈願しました。
永禄3年(1560)家康は、桶狭間の合戦後、岡崎城主となり、父の菩提を弔うため、月光庵の地に寺を建立しました。
家康は、手植えの松が緑深く伸長したことと、人質の身であった自分が城主として再び三河に戻れたことを喜び、「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けたといいます。












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松應寺の境内は、昭和の時代まで花街として栄えていましたが、近年はほとんどが空き家となっていました。
そんな中、かつての賑わいを取り戻そうと松應寺横丁街づくり協議会が発足し活性化を開始し、いろんなお店ができてきたそうです。
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天文18年(1549)3月、岡崎城主・松平広忠は、城中で家臣の岩松八弥(いわまつはちや)に刺殺され、能見ヶ原の月光庵に埋葬されました。
同年11月、家康は今川方の人質として熱田から駿府へ向かう途中に月光庵に立ち寄り、その墓上に小松を植え、松平一族の繁栄を祈願しました。
永禄3年(1560)家康は、桶狭間の合戦後、岡崎城主となり、父の菩提を弔うため、月光庵の地に寺を建立しました。
家康は、手植えの松が緑深く伸長したことと、人質の身であった自分が城主として再び三河に戻れたことを喜び、「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けたといいます。












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しずかさんへ
ここもあることは知ってましたが、
それもテレビで見てで、
ただ行ったことありませんから。
こうして詳細に見せて聞かせていただくと、
行って覗いてみたくなりました。
夕べはちょっと寂しかったですね‥。」🤩