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2023.05/29 [Mon]
井伊家発祥の地「井伊共保公出生の井 」
大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台にもなった奥浜名湖の北にある浜松市北区引佐町井伊谷。
井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。
井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。
遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。

広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。


共保公とは、平安時代から戦国時代までの六百年にわたり当地方を治めた井伊氏の元祖です。共保は、藤原冬嗣6世孫で、遠江国主・藤原共資の子に当たりますが、この地には、次のような伝説が残されています。
井伊氏祖備中守藤原共保出生之井の碑


共保公出生の井戸




この井戸は井伊家の始祖井伊共保公出生の井戸として往古から伝承されています。一條天皇の寛弘年間藤原鎌足十二代の子孫 備中守共資公が遠江介として村櫛へ下向、元旦 領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。たまたま神域の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、俊秀麗顔、常人にあらずまことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。後年共資公が自身の一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し当地方の宰主となり家紋をこの聖井を型取り、井桁に橘を以ってし、名門井伊氏の基を開いたと謂われます。
又、史説として、天日槍命(あめのひほこのみこと)三十二代三宅好用、醍醐天皇の延喜年間奈良より荘司として着任、この井戸の傍に居を構え、それより三代目の井端谷(いはたや)篤茂の娘が共資公に嫁し共保を生誕したとも伝えられます。三宅の家紋は橘であります。
(浜松市教育委員会)


碑文は、第39代当主・井伊直愛氏(井伊直弼の曾孫)の撰述。
周りはこんなのどかな風景です。

井伊直政(虎松)は遠江国(静岡県)井伊谷に生まれ、幼名は万千代。
井伊氏は代々西遠江の名族で、父直親(なおちか)は織田・徳川氏と通じているとの理由で、主君今川氏真によって謀殺されました。
わずか2歳であった直政は死を免れ、1575年(天正3)15歳のとき浜松で、徳川家康に対面し、小姓に取り立てられました。
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井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。
井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。
遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。

広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。


共保公とは、平安時代から戦国時代までの六百年にわたり当地方を治めた井伊氏の元祖です。共保は、藤原冬嗣6世孫で、遠江国主・藤原共資の子に当たりますが、この地には、次のような伝説が残されています。
井伊氏祖備中守藤原共保出生之井の碑


共保公出生の井戸




この井戸は井伊家の始祖井伊共保公出生の井戸として往古から伝承されています。一條天皇の寛弘年間藤原鎌足十二代の子孫 備中守共資公が遠江介として村櫛へ下向、元旦 領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。たまたま神域の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、俊秀麗顔、常人にあらずまことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。後年共資公が自身の一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し当地方の宰主となり家紋をこの聖井を型取り、井桁に橘を以ってし、名門井伊氏の基を開いたと謂われます。
又、史説として、天日槍命(あめのひほこのみこと)三十二代三宅好用、醍醐天皇の延喜年間奈良より荘司として着任、この井戸の傍に居を構え、それより三代目の井端谷(いはたや)篤茂の娘が共資公に嫁し共保を生誕したとも伝えられます。三宅の家紋は橘であります。
(浜松市教育委員会)


碑文は、第39代当主・井伊直愛氏(井伊直弼の曾孫)の撰述。
周りはこんなのどかな風景です。

井伊直政(虎松)は遠江国(静岡県)井伊谷に生まれ、幼名は万千代。
井伊氏は代々西遠江の名族で、父直親(なおちか)は織田・徳川氏と通じているとの理由で、主君今川氏真によって謀殺されました。
わずか2歳であった直政は死を免れ、1575年(天正3)15歳のとき浜松で、徳川家康に対面し、小姓に取り立てられました。
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- at 00:00
- [どうする家康:井伊直政(どうする家康)]
- TB(0) |
- CO(5)
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NoTitle
井伊直虎さんは浜松でしたね。
当時は毎晩楽しみにしてやはりドラマ。
見せてもらったことよく覚えてますから。
その関係このようなところが残って見られて、
井伊家の存在のデカさ、
それがわかるというものでしょうから。🤩
🤩