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2023.05/30 [Tue]
井伊谷城跡
井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。
井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。
現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。

井伊谷城跡(城山公園)
井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、
浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。
南北朝の動乱期(1336~1392)には、この地に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を迎え、
南朝方の活動拠点としました。
戦国時代には当地の支配権を巡って、今川、武田、徳川の各勢力が争い、
当主である井伊氏は大きく翻弄されました。
とくに、永禄5年(1562)に井伊直親が謀殺された後には適齢の男子がなく、
井伊氏は存亡の危機を迎えました。
この時に、城主としてふるまったのが、女性領主、井伊直虎です。
天正3年(1576)直虎は直親の子である(のちの虎松(井伊直政))を徳川家康に引き合わせ、井伊氏再興の道を開きました。
平成28年3月 北区まちずくり推進課
駐車場の裏側が登山口となっており、ここから上がっていきます。

以前と比べて随分整備されました。
途中に城山稲荷や見晴らしポイント、休憩所があります。


結構急な坂道が連続しています(..;)
休憩なしで、約10分で山頂へ到着。

ゆっくり登れば、15分程度だと思います。



井伊谷城跡(城山公園)
井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。
標高約115mの山に、単郭式の曲輪が築かれています。
山頂の半北半分は自然の地形を残し、南半分は平に均されています。
曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入り口をもちます。
南側の出入り口は大手に西側の出入り口は搦め手に相当します。
大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。
井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその麓にあった城館に加え、
最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北東2kmに所在)で構成されていました。
江戸時代の記録によると、井伊谷城は「御所の丸」と呼ばれていました。
南北朝の動乱期(1336~1392)に、南朝方の拠点として宗良親王(後醍醐天皇の皇子)
を擁した場所と関連づけられていたことがうかがえます。
平成28年3月 北区まちずくり推進課
御所丸跡

南側は展望台があります。


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井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。
現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。

井伊谷城跡(城山公園)
井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、
浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。
南北朝の動乱期(1336~1392)には、この地に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を迎え、
南朝方の活動拠点としました。
戦国時代には当地の支配権を巡って、今川、武田、徳川の各勢力が争い、
当主である井伊氏は大きく翻弄されました。
とくに、永禄5年(1562)に井伊直親が謀殺された後には適齢の男子がなく、
井伊氏は存亡の危機を迎えました。
この時に、城主としてふるまったのが、女性領主、井伊直虎です。
天正3年(1576)直虎は直親の子である(のちの虎松(井伊直政))を徳川家康に引き合わせ、井伊氏再興の道を開きました。
平成28年3月 北区まちずくり推進課
駐車場の裏側が登山口となっており、ここから上がっていきます。

以前と比べて随分整備されました。
途中に城山稲荷や見晴らしポイント、休憩所があります。


結構急な坂道が連続しています(..;)
休憩なしで、約10分で山頂へ到着。

ゆっくり登れば、15分程度だと思います。



井伊谷城跡(城山公園)
井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。
標高約115mの山に、単郭式の曲輪が築かれています。
山頂の半北半分は自然の地形を残し、南半分は平に均されています。
曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入り口をもちます。
南側の出入り口は大手に西側の出入り口は搦め手に相当します。
大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。
井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその麓にあった城館に加え、
最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北東2kmに所在)で構成されていました。
江戸時代の記録によると、井伊谷城は「御所の丸」と呼ばれていました。
南北朝の動乱期(1336~1392)に、南朝方の拠点として宗良親王(後醍醐天皇の皇子)
を擁した場所と関連づけられていたことがうかがえます。
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御所丸跡

南側は展望台があります。


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- at 00:00
- [どうする家康:井伊直政(どうする家康)]
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- CO(5)
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NoTitle
今朝はしとしとぴっちゃん雨の朝。
そうは降らない様にと願いたいところ。
井伊のお話は大河で見せていただいて、
少しは勉強させていただきましたが、
この様なところがまだちゃんと残って見られて、
さすが浜松はうれしい処じゃありませんか・・。🤩