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2023.06/06 [Tue]
長篠・設楽原の戦い(5)大通寺と盃井戸
長篠城跡の北端に接した大通寺のあたりは武田信豊、馬場信房、小山田昌行らの陣地があった所です。




盃井戸

武田の宿将馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋正次らは、武田軍が設楽原へ進撃する前夜、寺の裏山から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたといわれています。


城藪稲荷


平成18年(2006)、本丸から大通寺に移転。
長篠の合戦の後に長篠城は廃城となり、この稲荷だけが残され、祀る人がいなくなった。このことを知ったおとら狐は怒って近くの人に取りつくようになり、長篠の戦いの話をしたり、周辺を荒らしたという伝説が残されている。そのため、京都から伏見稲荷をお迎えして、「おとら狐」の怒りを納めているという。
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盃井戸

武田の宿将馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋正次らは、武田軍が設楽原へ進撃する前夜、寺の裏山から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたといわれています。


城藪稲荷


平成18年(2006)、本丸から大通寺に移転。
長篠の合戦の後に長篠城は廃城となり、この稲荷だけが残され、祀る人がいなくなった。このことを知ったおとら狐は怒って近くの人に取りつくようになり、長篠の戦いの話をしたり、周辺を荒らしたという伝説が残されている。そのため、京都から伏見稲荷をお迎えして、「おとら狐」の怒りを納めているという。
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NoTitle
いい天気の下での歴史のその跡めぐり。
こんなまた楽しくて頼もしいことは無いでしょう。
ましてや通が物知り、しずかさんがこうして、
つぶさに廻ってこられて見せて聞かせていただく、
こんな確かなことはないでしょうから・・。
けさもいいところ、
ありがとうございました。🤩