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2023.06/07 [Wed]
長篠・設楽原の戦い(6)医王寺と武田勝頼本陣地
長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、薬師如来を本尊とする曹洞宗の名刹です。

寺の裏手にある医王寺山(標高120メートル)は、天正3(1575)年の長篠の戦いの時、武田勝頼が本陣を置いたところです。

本堂の前には「武田勝頼本陣跡」の碑が建っています。

「武田勝頼本陣跡」の碑

山縣三郎兵衛息継ぎの井戸

弁財天 蓮池




また、山門の前には長篠の戦いにまつわる「片葉の葦」伝説の弥陀池があります。

長篠の決戦前夜、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち、「明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ」と諫めたところ、勝頼はこれを無礼とし、太刀にて老人の腕を切り落としました。老人は煙のように消えましたが、翌朝、弥陀池の葦がすべて片葉となっていたそうです。


医王寺山頂には物見櫓が再建されています。
医王寺正門近くから遊歩道で10分ほどで行き着きます。

物見櫓


ここから長篠城跡を一望にできます。

庫裏にある医王寺民俗資料館には、長篠の戦いで使われた武田軍の遺品である兜、陣茶釜、槍、硯、矢じりの他、農具や教科書など多数の民俗資料と日本最長の大断層・中央構造線の通る奥三河の鉱物や岩石が展示されています。
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寺の裏手にある医王寺山(標高120メートル)は、天正3(1575)年の長篠の戦いの時、武田勝頼が本陣を置いたところです。

本堂の前には「武田勝頼本陣跡」の碑が建っています。

「武田勝頼本陣跡」の碑

山縣三郎兵衛息継ぎの井戸

弁財天 蓮池




また、山門の前には長篠の戦いにまつわる「片葉の葦」伝説の弥陀池があります。

長篠の決戦前夜、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち、「明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ」と諫めたところ、勝頼はこれを無礼とし、太刀にて老人の腕を切り落としました。老人は煙のように消えましたが、翌朝、弥陀池の葦がすべて片葉となっていたそうです。


医王寺山頂には物見櫓が再建されています。
医王寺正門近くから遊歩道で10分ほどで行き着きます。

物見櫓


ここから長篠城跡を一望にできます。

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- at 00:00
- [どうする家康:武田勝頼(どうする家康)]
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NoTitle
新城にはいわく因縁のところが、
たくさんあることは知ってはいますが、
なにしろなかなか好奇心持っては、
出かけたことが無くて、いろいろと、
このように見せてもらってにっこっりです。🤩