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2023.09/18 [Mon]
上田城(1)東虎口櫓門~北櫓~南櫓~西櫓
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。

東虎口櫓門から城内に入ります。

櫓門の手前から見た空堀。

櫓門をくぐる前、右側の石垣の中に真田石があります。


高さ2.5m、幅3mの城内最大の石です。
真田信之が上田城から松代に移る際、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説が残されています。
この楼門は、北櫓と南櫓を繋ぐ門であり、敵を狙撃するための狭間が設けられており、櫓の内部は資料館になっています。



現在、上田城には北櫓、南櫓、西櫓の3つの櫓があり、見学ができます。
北櫓と南櫓は明治維新後に上田城が廃城になった後、民間に払い下げられ、元和8年(1622)、真田氏にかわって上田藩主となった仙石忠政は、寛永3年(1626)上田城復興工事に取り掛かりましたが、忠政は寛永5年に病死し、工事も中断したままになっていたため、この櫓もその間に建てられたものと考えられます。
櫓は本丸にだけ建てられ、全部で7棟ありましたが、明治の廃城のおり、西櫓を残してあとは取り払われてしまいました。このうち北櫓と南櫓の2棟は、民間に払い下げられ、もとの場所から撤去されました。
その後、上田城の櫓は昭和になると遊郭の建物として再利用されたりもしましたが、市民運動で買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の地へ再移築されました。
櫓は、北櫓からの見学になります。



















北櫓から南櫓へ



















上田城の三棟の櫓の中でも、西櫓は寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物で、南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されています。





櫓からの眺め



この櫓の中心の丸柱には、仙石氏の「仙」という字の刻印が押されています。
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東虎口櫓門から城内に入ります。

櫓門の手前から見た空堀。

櫓門をくぐる前、右側の石垣の中に真田石があります。


高さ2.5m、幅3mの城内最大の石です。
真田信之が上田城から松代に移る際、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説が残されています。
この楼門は、北櫓と南櫓を繋ぐ門であり、敵を狙撃するための狭間が設けられており、櫓の内部は資料館になっています。



現在、上田城には北櫓、南櫓、西櫓の3つの櫓があり、見学ができます。
北櫓と南櫓は明治維新後に上田城が廃城になった後、民間に払い下げられ、元和8年(1622)、真田氏にかわって上田藩主となった仙石忠政は、寛永3年(1626)上田城復興工事に取り掛かりましたが、忠政は寛永5年に病死し、工事も中断したままになっていたため、この櫓もその間に建てられたものと考えられます。
櫓は本丸にだけ建てられ、全部で7棟ありましたが、明治の廃城のおり、西櫓を残してあとは取り払われてしまいました。このうち北櫓と南櫓の2棟は、民間に払い下げられ、もとの場所から撤去されました。
その後、上田城の櫓は昭和になると遊郭の建物として再利用されたりもしましたが、市民運動で買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の地へ再移築されました。
櫓は、北櫓からの見学になります。



















北櫓から南櫓へ



















上田城の三棟の櫓の中でも、西櫓は寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物で、南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されています。





櫓からの眺め



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- [どうする家康:真田昌幸(どうする家康)]
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NoTitle
上田の城もずいぶんと前から、
何度ととなく訪ねて見てきていますが、
このようにしてきめ細かく絵にして来たりしたことはありませんし、
もともと奥深く城そのものを観てきたことが無くて、
なんだか恥ずかしい話です勉強になります・・。🤩