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2023.09/24 [Sun]
於愛の方ゆかりの心造寺~五社神社・諏訪神社
※今日の「どうする家康」の紀行で、浜松の五社神社が紹介されましたので、再掲します。
浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。

開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。

西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されています。
西郷局(さいごうのつぼね)父は戸塚忠春。通称は於愛の方。徳川家康の側室であり、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠、松平忠吉の生母として知られている。院号は宝台院。

1758(宝暦8)年に完成した七間四面の本堂は1771(明和8)年に全焼、1775(安永4)年に同じ七間四面の本堂が再建されました。
しかし、1945(昭和20)年6月の太平洋戦争中に空襲を受け焼失してしまい、現在の建物は1951(昭和26)年に再建されたものです。
(浜松情報BOOKより)

西郷局が奉納した鉄灯篭も公開される時があれば見てみたいです。
心造寺に隣接しているのが、五社神社・諏訪神社です。

家康は、子供たちのお宮参りや、自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。
また諏訪神社は、3代将軍・徳川家光によって、現在地に遷され、昭和35年(1960)、隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社を合祀し、五社神社・諏訪神社となりました。

両社ともに、秀忠のとして徳川家の崇敬を受け、子守り、子育ての神としての信仰されています。




五社神社
五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になったそうです。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものとされています。
相殿に応神天皇、徳川家康を祀り、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀しています。
浜松城の前身である曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれています。後に家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正8年(1580年)7月に遷座、社領15石を寄進しました。慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進され、寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮(徳川家康)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなりました。
かつての社殿は寛永18年(1641年)に家光の命で再建されたもので、大正3年(1914年)に特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されましたが、昭和20年(1945年)6月18日に浜松空襲により全焼しました。
諏訪神社
諏訪神社は、建御名方命、八坂刀売命、事代主命を主祭神とし、相殿に徳川家康を祀っています。
延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まるとされています。五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けました。寛永11年(1634年)の家光上洛の際に、五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受け、以降300石の朱印地を領することとなりました。寛永18年、家光の命により現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され、遷座。この時の社殿は昭和13年(1938年)に当時の国宝保存法に基づく国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されたが、昭和20年6月18日に戦災により全焼しました。



切石を積み上げた石垣や手水鉢は、家光の時代のものが今でも残っています。
寛永十五年、浜松城主・高力摂津守寄進の手水鉢

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浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。

開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。

西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されています。
西郷局(さいごうのつぼね)父は戸塚忠春。通称は於愛の方。徳川家康の側室であり、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠、松平忠吉の生母として知られている。院号は宝台院。

1758(宝暦8)年に完成した七間四面の本堂は1771(明和8)年に全焼、1775(安永4)年に同じ七間四面の本堂が再建されました。
しかし、1945(昭和20)年6月の太平洋戦争中に空襲を受け焼失してしまい、現在の建物は1951(昭和26)年に再建されたものです。
(浜松情報BOOKより)

西郷局が奉納した鉄灯篭も公開される時があれば見てみたいです。
心造寺に隣接しているのが、五社神社・諏訪神社です。

家康は、子供たちのお宮参りや、自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。
また諏訪神社は、3代将軍・徳川家光によって、現在地に遷され、昭和35年(1960)、隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社を合祀し、五社神社・諏訪神社となりました。

両社ともに、秀忠のとして徳川家の崇敬を受け、子守り、子育ての神としての信仰されています。




五社神社
五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になったそうです。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものとされています。
相殿に応神天皇、徳川家康を祀り、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀しています。
浜松城の前身である曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれています。後に家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正8年(1580年)7月に遷座、社領15石を寄進しました。慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進され、寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮(徳川家康)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなりました。
かつての社殿は寛永18年(1641年)に家光の命で再建されたもので、大正3年(1914年)に特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されましたが、昭和20年(1945年)6月18日に浜松空襲により全焼しました。
諏訪神社
諏訪神社は、建御名方命、八坂刀売命、事代主命を主祭神とし、相殿に徳川家康を祀っています。
延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まるとされています。五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けました。寛永11年(1634年)の家光上洛の際に、五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受け、以降300石の朱印地を領することとなりました。寛永18年、家光の命により現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され、遷座。この時の社殿は昭和13年(1938年)に当時の国宝保存法に基づく国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されたが、昭和20年6月18日に戦災により全焼しました。



切石を積み上げた石垣や手水鉢は、家光の時代のものが今でも残っています。
寛永十五年、浜松城主・高力摂津守寄進の手水鉢

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