大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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頼朝の旗揚げ(3)湯河原の城願寺

城願寺は、源頼朝を庇護した土肥実平が菩提寺として建て、室町時代に中興されたと伝えられています。

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実平お手植えのビャクシン

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七騎堂は、頼朝を守った頼朝七騎の土肥実平・遠平親子、岡崎四郎義実、新開次郎忠氏、安達藤九郎盛長、土屋三郎宗遠、田代冠者信綱の7人の木彫り像が安置されています。

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七騎堂の由来

伊豆に流されて20年間、蟄居の生活を送っていた源頼朝が、源氏再興の旗揚げをしたのが今から約800年の昔治承4年8月23日である。
頼朝は石橋山(神奈川県片浦村に陣を布き手勢300騎で平家方の大庭景親軍3,000騎と対戦したが衆寡敵せず忽ち潰走して土肥の杉山に逃れ山中の洞窟に身を隠し或は山中の堂宇に難を避くる等辛じて大庭軍の目を?らまし、8月28日に岩村の海岸から漁船に乗って房州に落ち延びたのである。
この時同船で落延びたのが頼朝以下主従七騎であったので、世にこれを頼朝七騎落と呼んでいる。
頼朝の蹶起によって平家が滅び、日本の王朝政治が終りを告げて武家政治の時代が開かれ、ここに日本歴史を転換させた最初の戦が土肥郷(今の小田原から湯河原まで)を舞台として戦われしかもこの合戦の参謀として活躍したのが当時湯河原町に居館を構え土肥郷を領していた土肥次郎實平であったのである。
吾が郷土の史実研究団体である土肥会に於てはさきに郷土と縁の深いこの七騎落七武者の像を刻み土肥次郎實平の菩提寺成願寺本堂内に安置し、毎年七騎供養祭を執行してきたが、更に此の程この七騎像を永く意義あらしめるため境内に一宇の堂を建立しここに安置することになった七騎堂即ちこれである。
昭和49年4月吉日                                                    湯河原町 土肥会(案内版より) 

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謡曲「七騎落」と成願寺

謡曲「七騎落」は、鎌倉武士社会の忠節と恩愛の境目に立つ親子の情を描いた曲である。
石橋山で敗戦し逃げ落ちる源頼朝主従八騎は、船で房総に向かう事になった。
頼朝は祖父為義・父義朝の先例を思い、八騎の数を忌んで七騎にするよう土肥実平に命じた。
主君の武運を開くために我が子遠平を犠牲にしようと覚悟して下船させたが、折よく沖合いの和田義盛に救われ、歎喜のあまり酒宴を催して舞となるという史劇的創作曲である。
成願寺は土肥氏の持仏堂跡で、土肥郷主実平、遠平父子がその城館の上の丘に創建し、大鏗禅師の弟子雲林清深が中興開山で、足利時代である。
土肥一族の墓所があり、七騎堂には七騎の木像が収められている。
                     謡曲史跡保存会(案内版より)

本堂

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土肥一族の墓

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Comment

土居実平! 

土居実平夫婦の銅像や城願寺の手植えの神奈川県の古木名木100選の一つ強大なビャクシンの木も大変見事で目立ちますね。
本当にいろいろな源平に関係するところを尋ねて行っておられますね!

感心を通りすぎ、びっくりして記事読んでいます。

四方さんへ 

いつもお読みくださりありがとうございますm(__)m

源平史跡を追いかけ始めて8年になりますが、全国各地に散らばっているため、まだまだその一部しか行っていませんね。
ライフワークのつもりで根気強く続けています。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2012.12/07 11:30分 
  • [Edit]

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