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大河ドラマに恋して

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「ならぬことはならぬ」の精神(1)保科正之と会津家訓15カ条

今年の大河ドラマ「八重の桜」が6日スタートしました。
初回の視聴率21.4%でまずまずなようです(#^.^#)

今年は福島が舞台ということで、手持ちのネタがないため、昨年までのような画像入りの記事はなかなか書けそうにありませんが、過去の作品「平清盛」「江」などの記事も更新しつつ、「八重の桜」にも触れたいと思っていますので応援よろしくお願いします。

さて、第一話の放送のタイトル」「ならぬことはならぬ
大変インパクトのある言葉ですね。
今年の流行語にもなりそうな予感
この言葉は、やはりこの人のことを抜きには語れないでしょう。

会津松平家初代、陸奥会津藩初代藩主・保科正之は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を補佐した人物です。
徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえ、少年時代は不遇ともいえる道を送りますが、異腹の兄・家光に見出されてからは、家光の影となり、徳川幕府を支えていきます。
まずは、正之の出生から辿っていきましょう。

2代将軍・徳川秀忠は、自分の乳母である大姥局に仕えていた侍女のお静と関係を持ち、お静は懐妊しますが、嫉妬深い江を怖れて大奥を下り、兄の神尾嘉右衛門の家で最初の子を堕胎します。しかし、秀忠は、お静のことを忘れられずに、再び大奥に呼び戻し、お静は慶長16年(1611年)再び秀忠の子を懐妊。

江戸白銀丁の四条藤右衛門の貸家、姉婿武村助兵衛の屋敷で幸松(後の保科正之)を出産しますが、6歳年上の江に頭の上がらなかった秀忠は、お静を側室に迎えることなく、幸松は見性院(武田信玄次女、穴山梅雪正室)の元に預けられ、見性院のもとで養育されることになりました。
武家の男子は、7歳から学問と武芸の稽古を始めなければならず、見性院は、最も信頼のおける信州高遠の城主・保科正光に正之を託し、正之は保科正光の養子となります。
「会津松平家譜」によると、正之は次兄の徳川忠長と対面して以来、忠長から大変気に入られて、祖父・徳川家康の遺品を忠長より与えられたといいます。
その後、寛永8年(1631年)正光の跡を継ぎ、21歳で高遠藩3万石の藩主に。
ある時、正之が自分の異母弟と知った家光は、正之の実直な人柄に惚れ、徳川将軍補佐役として幕政に重用し、最上山形、会津の城主としました。
寛永13年(1636年)出羽山形藩20万石を拝領。
寛永20年(1643年)陸奥会津藩23万石と大身の大名に引き立てられ、以後、正之の子孫の会津松平家が幕末まで会津藩主を務めました。
慶安4年(1651年)家光は死ぬ間際に正之を呼び、「肥後よ宗家を頼みおく」と言い残しました。

正之は寛文8(1668)年、『会津家訓十五箇条』を定め、第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と藩主としての心得を記し、以降、藩主・藩士は共にこれを忠実に守り、幕末の藩主・松平容保にも受け継がれました。

一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。 上下の分、乱るべからず。
一、兄を敬い、弟を愛すべし。
一、婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、主を重んじ、法を畏るべし。
一、家中は風義を励むべし。
一、賄を行い、媚を求むべからず。
一、面々、依怙贔屓すべからず。
一、士を選ぶに便辟便侫の者を取るべからず。
一、賞罰は家老の外、これに参加すべからず。若し出位の者あらば、これを厳格にすべし。
一、近侍の者をして、人の善悪を告げしむべからず。
一、政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、以てこれを争そうべし。甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。
一、法を犯す者は宥すべからず。
一、社倉は民のためにこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれを済うべし。これを他用すべからず。
一、若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。
  右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり

寛文9年(1669年)嫡男の正経に家督を譲り隠居。
寛文12年(1672年)12月18日、江戸三田の藩邸で死去しました。

正之は幕府より松平姓を名乗ることを勧められたのですが、養育してくれた保科家への恩義を忘れず生涯保科姓を通したそうです。

そして、正之が亡くなった後も、正之の定めた会津家訓は、次世代にも受け継がれていきます。

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