大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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全生庵 山岡鉄舟の墓

谷中の徳川慶喜の墓をお参りした帰りに、同じく谷中にある全生庵を訪ねました。

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ここは、江戸開城の功労者で、宮内省御用掛を務めた山岡鉄舟が、明治16年(1883)幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した寺です。

本尊はかつて江戸城の守り本尊だった葵正観世音菩薩。

山岡鉄舟は、旗本・小野朝右衛門と磯の子として江戸に生まれ、剣を北辰一刀流・千葉周作に、槍を刃心流・山岡静山に学び山岡家を継ぎました。高橋泥舟の義弟に当たります。
後に、幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。
明治1(1868)年、精鋭隊頭となり、徳川慶喜の警護に当たります。その直々の命により、江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府に辿り着き、単身で西郷と面会。徳川家救済と江戸開城に尽力しました。
明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称され、身長188cm、体重105Kgと、当時としては大柄な体格であったそうです。(Wikipedia、コトバンク参照)

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山岡鐡舟居士之賛  

 鐵舟と交流のあった実業家平沼専蔵によって明治二十三年に建てられた碑で、上部に有栖川宮熾仁親王の篆書体で「山岡鐡舟居士之賛」と題され、碑文には浄土宗初代管長の鵜飼徹定による詩文が、勝海舟の書によって刻まれている。
 剣は一刀流を極めて無刀流を開き、禅は天竜寺滴水和尚に受け、書は弘法大師入木道の伝統を継いだ、剣・禅・書の大家である鐵舟を讃える碑であり、その才質の比類なきことを伝え、国を思う心の深いことを記す。鐵舟が在家の仏教者であったことから維摩居士に比されている字句も見える。

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境内に鉄舟と初代・三遊亭圓朝の墓があります。

円朝は禅を通じて鉄舟に師事し親交を深めたそうです。
円朝の墓石には、鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とあります。
円朝遣愛幽霊画50幅を所蔵することから同庵は「幽霊画の寺」としても知られています。


墓地

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山岡鉄舟墓

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山岡鉄舟墓
    
 江戸開城の功労者で宮内省御用掛を務めた鉄舟は、天保7年(1836)6月10日幕臣小野朝右衛門の五男として江戸本所に生まれた。通称は鉄太郎、諱は高歩、字は曠野、猛虎、鉄舟、一楽斎は号である。父の飛騨郡代在任中、高山で井上清虎に一刀流を学んだ。嘉永5年(1852)江戸に戻り槍術の師山岡静山の婿養子となって山岡家を嗣いだ。幕末の動乱の中で東征軍の東下に対し、駿府で西郷隆盛と会見し、勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。明治維新後は天皇の側近として宮内大書記官や宮内少輔などを歴任した。公務の傍ら剣術道場を開き、明治13年(1880)には無刀流を創始した。書家としても優れ、また明治16年(1883)臨済宗普門山全生庵の開基となった。開山は松尾越叟である。明治21年(1888)7月19日53歳で死去した。
 山岡家墓所には、基壇上にある有蓋角塔の正面に「全生庵殿鉄舟高歩大居士」とある。墓所の周辺には、鉄門といわれる石坂周造、千葉立造、松岡萬、村上政忠の墓がある。
           
東京都教育委員会

初代三遊亭圓朝の墓

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初代三遊亭圓朝の墓

初代三遊亭円朝は、通称出淵次郎吉といい、天保10年(1839)4月1日音曲師橘屋円太郎(出淵長蔵)の次男として江戸湯島切通町に生まれた。2代目三遊亭円生の門人となり、安政2年(1855)16歳で真打ちとなる。芝居噺で人気を博し『真景累ヶ淵』や『怪談牡丹燈籠』『塩原多助一代記』などを創作した。
 本業の話芸以外にも點茶(てんちゃ)、華道、聞香、和歌、俳句、書画など和敬清寂の道に精通していた。建築、作庭にも秀で、自らの設計監督によって内藤新宿では、数寄屋造の家屋や茶室、更に新宿御苑を借景とした百坪余の枯山水の平庭を完成させた実績もある。
 また、臨済禅の修行においても、山岡鉄舟や由利滴水の指導の下に参禅し、難しい公案を喝破して居士号を授けられた。更に書画古美術に対する鑑識眼は極めて高く、毎年円朝忌を中心に円朝の収集した幽霊画が公開されている。
 明治33年(1900)8月11日62歳で死去した。墓石には、山岡鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とある。
           東京都教育委員会

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コメント

全生庵! 

 東京、大阪などは大空襲を受けているので、戦後再建されたものはコンクリートが多くて残念です。
大阪の聖徳太子創建で有名な四天王寺もコンクリートでなんだか味気なかったのが思い出されます!
 でもお墓はほぼ当時のものが残っていますね!

四方さんへ 

その通りですね。
当時の面影を残すものは貴重です。
地震が巨大化していく昨今、後世に文化財を残していくのも課題ですね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2013年06月20日 08時31分 
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  • [返信]

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