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2013.06/12 [Wed]
坂下門外の変
1862年(文久2)1月、水戸浪士らが江戸城坂下門外で、登城途中の老中・安藤信正を襲撃した事件です。
1860年(万延1)3月、大老・井伊直弼が殺害されたのち、幕閣の中心に立った信正は、尊王攘夷派の幕政批判を緩和するために、首席老中久世広周(ひろちか)と共に公武合体政策を推し進めました。その政策として、同年10月、皇妹和宮の将軍・徳川家茂への降嫁の決定しましたが、尊王攘夷派志士らはこれに反発、安藤らに対し憤激しました。
文久2年(1862年)1月15日午前8時頃、安藤老中の行列が、坂下門外に差しかかると、水戸藩浪士・平山兵介、小田彦三郎、黒沢五郎、高畑総次郎、下野の医師・河野顕三、越後の医師・河本杜太郎の6人が行列を襲撃。
しかし、登城の際の大名の警備は厳重になっており、浪士ら6人は暗殺の目的を遂げることなく、いずれも闘死。安藤は背中に軽傷を負って一人城内に逃げ込みました。
ここが事件の舞台となった坂下門です。
坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。
門内の近くに宮内庁があり、現在は宮内庁の出入口として利用されています。
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1860年(万延1)3月、大老・井伊直弼が殺害されたのち、幕閣の中心に立った信正は、尊王攘夷派の幕政批判を緩和するために、首席老中久世広周(ひろちか)と共に公武合体政策を推し進めました。その政策として、同年10月、皇妹和宮の将軍・徳川家茂への降嫁の決定しましたが、尊王攘夷派志士らはこれに反発、安藤らに対し憤激しました。
文久2年(1862年)1月15日午前8時頃、安藤老中の行列が、坂下門外に差しかかると、水戸藩浪士・平山兵介、小田彦三郎、黒沢五郎、高畑総次郎、下野の医師・河野顕三、越後の医師・河本杜太郎の6人が行列を襲撃。
しかし、登城の際の大名の警備は厳重になっており、浪士ら6人は暗殺の目的を遂げることなく、いずれも闘死。安藤は背中に軽傷を負って一人城内に逃げ込みました。
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坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。
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坂下門外の変!
この話も有名ですね!
昨年しずかさんからの情報で江戸城内や周辺をたっぷり見学できました。
ありがとうございました!