大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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佐久間象山・大村益次郎遭難之碑

三条木屋町の高瀬川の橋の東側に、「佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑」の道標があります。

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佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑

佐久間象山は信州松代藩出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。
彼の塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら傑物を排出しています。
元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めた為同年7月11日に刺客に惨殺されました。
大村益次郎は長州藩出身で、医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで兵学者となりました。
長州藩の軍事指導者として活躍し、その功績から維新後、兵部大輔に任命され、近代兵制樹立に尽力しました。
しかし廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士に襲われ、同年敗血症で死去しました。
(案内板より)

が、道標に「北へ約壱丁」と書いてあります。

実際に暗殺された場所は、「木屋町御池上ル」で、ここから1丁(約109m)進むと、は高瀬川の対岸に、佐久間象山・大村益次郎遭難之碑が立っています。

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右側が佐久間象山、左側が大村益次郎です。

二人はともに、幕末の兵学者であり、木屋町御池付近に居を構えていました。
暗殺された時期は5年ほどずれていますが、北町御池上ルの長州藩屋敷付近で暗殺されました。

佐久間象山遭難之碑

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佐久間象山遭難之碑は、京都府立図書館、京都大学時計台などの設計で有名な武田五一氏がデザイン、設計を手掛けただけあって、お洒落なつくりですね。

大村益次郎遭難之碑

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元治元年(1864)7月11日、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山(1811~1864)は、刺客に襲われて斬られ絶命した。
象山は信濃(長野県)松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。
この時は幕府の命で上洛し、海防の相談に与るとともに公武合体策をすすめていた。時は池田屋事件の直後でいきりたっていた攘夷派は、学者象山の説をも受け付けなかった。
それから5年後の明治二年(1869)9月4日、木屋町通の東側にあった宿所で大村益次郎(1825~1869)が刺客に襲われて斬られ、その傷がもとで、同年11月5日大阪の病院で没した。
益次郎は周防国(山口県)長州藩士、家は医者であったが、医学とともに西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって幕末の長州軍を率い、また戊辰戦争の指揮に活躍した。ついで、明治政府の兵部大輔となり、近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。そのため、不平派士族に襲われた。(京都市)

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コメント

佐久間象山・大村益次郎遭難之碑! 

>実際に暗殺された場所は、「木屋町御池上ル」で、ここから1丁(約109m)進むと、は高瀬川の対岸に、佐久間象山・大村益次郎遭難之碑が立っています。
こんな凄い碑が有るなんて全然知らなかったです!
次の京都行きでは見にいきます。
ありがとうございました。

四方さんへ 

ここは、前に見逃してしまったところで、今回やっとリベンジできました。
遭難之碑と道標を勘違いしてしまうことがありますね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2013年06月15日 10時48分 
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  • [返信]

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