大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Entries

レンタサイクルでめぐる安土の旅(2)安土城へ

安土駅から自転車で10分ほどで安土城に到着。

IMG_5539 安土城跡

IMG_5541 安土城跡

登城ルートは、大手口から天守台を目指し、大手口に戻るルートです。

大手口には、かつて大手門と東西2つの虎口が構えられていました。

IMG_5419 南山裾帯郭の虎口

南山裾帯郭の虎口
 
 大手口の西枡形虎口から百々橋口までの南山裾には、東西方向に狭く長い郭が続いています。郭の南面石垣に沿って側溝があり、百々橋から大手まで内堀との間は通路となっていました。
 この場所は百々橋-大手間の中間地点に当たりますが、平成19年度の発掘調査で通路に面して2箇所に虎口が造あれていることが新たに分かりました。

 2箇所とも虎口の幅は約4.5mです。ここは西側の虎口ですが、入りロに石段が1段設けられ、石段の内側は堅く踏みしめられたゆるい上り勾配の通路状で、その奥は西の上段郭に取り付く石段の踊り場となっています。虎ロ西端の石垣沿いには、側溝の縁石を兼ねた土壁の土台となる地覆石(狭間石)の石列と柱と柱の問の距離(柱問寸法)約1.8m(6尺)を測る礎石2基、礎石抜き跡1基が残っていました。また、礎石が小さく土壁が付くことからこの建物は薬医門や棟門のような重厚な門ではなく、東西方向に棟を持つ梁行き2間、桁行き2間以上の建物で、その西側2間分が出入り口となっていたと考えられます。

一方,東側虎口は4段の石段を上って入るなど西側虎口と構造が異なりますが、両虎口が取り付く下段郭に伴う一連の施設と考えています。 
 虎口が見つかるまでは百々橋から大手口の前を通るこの通路は安土城の外周で、一般の人も通行できる城外路と考えていました。しかし、複数の虎口や重厚な門ではなく防御性の弱い平屋の建物となると城の防御の面から通路は城内路の可能性が高くなったことから、西は百々橋口、東は下街道に面した江藤の丘あたりで一般人は通行禁止とするなんらかの閉鎖施設を考えざるをえなくなりました。あらためて安土城の南の外郭が内堀になるということを示す遺構です。

 なお、西側虎口内の1段上がった踊り場から西向きに上段郭へ上がる石段は、幅1.7m、奥行き2.7mで、最下段と南辺に側溝が付き、南東隅で虎口西端の側溝と繋がっています。この石段の北側には用途・目的等が分からない石段と同じ勾配を持っ幅1.2mのスロープが付いています。石段を上がった所からは百々橋方面と大手口方面の両方が見渡せます。柱を受ける礎石は残っていませんが虎口との位置関係などから、物見櫓のような建物があったと想像しています。(案内板より)

IMG_5421 南山裾帯郭の虎口

IMG_5422 南山裾帯郭の虎口


IMG_5423 西側石塁の枡形虎ロと平入り虎ロ

西側石塁の枡形虎ロと平入り虎ロ

 大手門から西に延びる石塁には2箇所の出入り口があります。最も西端に設けられた出入り口は二度折れして人る枡形虎口と呼ばれる構造で、その東側に造られた出入り口は、平入り虎口と呼ばれる門を入るとすぐに城内に行き着くものです。平入り虎口の東袖壁は石塁をL字状に屈曲させ幅を約5.0mに拡幅させています。

伝羽柴邸下段郭にあるような櫓門になっていた可能性があります。西袖壁の南面側は基底石が残っていなかったため当初の石塁幅を確かめることができず、整備工事では左右対称の形に復元しています。また、登り降りする段差がありますが、石段等の当時の遺構が残っていなかったため花崗岩の切石を使い築城時のものと区別しています。

枡形虎口では二っの新しい発見がありました。
一つは、枡形虎口の南面石垣沿いに幅約50cmの石敷き側溝が造られていたことです。このことから南面石垣沿いには通路のような陸地が百々橋口まで延びていることが明らかになりました。
二つ目は、枡形虎口の西壁と南面石垣には約1.5m大の大石を等間隔に配置する模様積みですが、奥壁の石垣は約40~60cm大の石を布積みにしており石の積み方が違うことが分かりました。さらに西壁の石垣は奥壁の石垣に当て付けており、奥壁の石垣は西に延びて埋め殺しになっていました。

このことから、当初安土城の南面を画する奥壁の石垣が造られていましたが、天皇の行幸のため大手を三門にする設計変更をした際、南側に郭を継ぎ足して、石塁とセットになった枡形虎口が造られたと考えられます。
また、枡形虎口の上段には安土城廃城後、畑地として利用された時に造られた石垣が残っていました。廃城後の安土城の利用方法を知っていただき、石積みの違いを見て頂くため解体せず残しました。(案内板より)

IMG_5425 西側石塁の枡形虎ロと平入り虎ロ

IMG_5426 西側石塁の枡形虎ロと平入り虎ロ

IMG_5437 東側石塁北上段郭と虎口


東側石塁北上段郭と虎口
 
 東側石塁東虎口の城内側は、一段.段高い郭(A区}が間近に迫り,この郭の南面を画する石垣(石垣360)により遮られています。
 石塁との問は約6mあります。石垣に沿って側溝が設けられていることから大手道に通じる通路であったことが分かりました。
 この石垣360には大手道から東へ約25mの地点にL段郭へ上がる虎口(A区虎口)が設けられていました。虎口は間口約5m.奥行き約5.5m以上で、石段で上がるようになっています。石段は下段4段、上段3段で、中間に奥行き2.5mの踊り場が造られていました。踊り場には東西側壁寄りに門の袖柱を受ける礎石が残っていました。門の主柱を受ける礎石が残っていないため門の規模は不明ですが、残存する2基の小礎石から薬医門か唐門であったと思われます。
上段郭の内部は江戸時代以降に水田耕作などで開墾されており、築城時の遣構は残念ながら残っていません。しかし、虎口の門の形態や郭の広さから伝羽柴秀吉邸上段郭にあるような屋敷であったことが考えられます。
 東虎口から入った賓客をこの虎口から上段郭にある建物へ招き入れたと思われます。
 石垣には大きな石が等間隔に配麗されています。模様のように大石を配置していることから「模様積み」と仮称しました。
 このような大石を等間隔に置く石垣の例は.佐賀県肥前名護屋城跡の古田織部陣跡、広島県吉川元春館跡や万徳院跡にあります。
 しかし、安土城の方が古く、模様積みの初源ではないかと思われます。(案内板より)

IMG_5438 東側石塁北上段郭と虎口

IMG_5439 東側石塁北上段郭と虎口

IMG_5434 石塁と大手三門
 

石塁と大手三門
 
 安土城の南口は石塁と呼ばれる石垣を用いた防塁で遮っています。この石塁が設けられた部分は東西約110mあり、その間に4箇所の出入り口が設けられています。通常の城郭では大手門と呼ばれる出入り口が1箇所だけです。織田信長は、安土城に天皇の行幸を計画していたことから、城の正面を京の内裏と同じ三門にしたのではないか、西枡形虎口以外の三門は行幸などの公の時に使用する門であったと想定されます。
 東側石墨は北側に溝がなく基底幅は約4.2mです。石塁は一直線ではなく大手門の所でへの字に屈曲しています。石塁の石は、八幡城や彦根城に再利用されたか、江戸時代以降の水田耕作などの開墾により大半が消失し築城時の高さは不明です。そのため復元にあたっては、南側から石墨北側の通路にいる見学者の方が見通せる高さに制限しました。東平入[ひらい]り虎口[こくち]は、間口約5・5m奥行き約4・2mで、柱を受ける礎石等が残ってないため門の構造は不明です。
 石塁の中に詰められている栗石がない部分が約30m(東側石塁の西端に網を張って中の乗石が見えるようにしている部分から西です)あり、この間に大手門があったと思われます。石塁から南に2間分、2・4mの間隔で礎石が2基、礎石抜き取り穴が1基見つかっていますが、石塁の基底石が据えられている面と同じ高さにあり、大手門の柱が石塁より前に2間分飛び出すという特異な形になり規模や構造において不明な点が多くどのような門であったか不明です。
 また、虎口や通路に上がる段差がある部分ですが、その多くが後世の開墾で当時の遣構が消滅して、石段であったか木階段であったか確定することができませんでした。そのため確実に築城時に段があうたが材質が不明である部分については安土城では用いられていない花崗岩の切石で復元して築城時の遺構と区別することにしています。門があったと見られる部分には豆砂利樹脂舗装をして表示しています。また、通路部分は針葉樹の間伐材を使ったウッドチップ樹脂舗装で表示しています。上段の郭の内、土塀があったと推定される箇所はウバメガシの生垣にしています。(案内板より)

IMG_5436 石塁と大手三門

大手口駐車場近くに無料休憩所があり、その中に安土城の模型が飾られています。

IMG_5433 安土

レンタサイクルはここに停め、大手口に向かいます。

IMG_5431 安土



FC2ブログランキングに参加しています。
クリックよろしくお願い致します。




にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m


歴女日記 ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメント

NoTitle 

ここへ、ジャンプしたら安土城でした。

これだけ、詳しい説明があると、安土城を
制覇した気分になります。
天下を目前にした信長の心意気が伝わってきます。
  • ラメール 
  • URL 
  • 2014年05月14日 00時26分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

安土と桃山城はちがうんですね!
  • シネマ大好き娘 
  • URL 
  • 2014年05月14日 04時06分 
  • [編集]
  • [返信]

安土城! 

ついに登られたのですね!
その素晴らしさは登った人でないと理解できないでしょうね!
  • willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2014年05月14日 06時13分 
  • [編集]
  • [返信]

ラメールさんへ 

安土城が紀行で取り上げられるのは、もっと後だと思っていたので、記事作りに追われています(^_^;)
ここは、歩くとすぐに案内板があるので、読みながら、また撮影しながら歩くと結構時間がかかります。

シネマ大好き娘さんへ 

安土桃山城は、日記ブログに載せた方です(#^.^#)

四方さんへ 

ついに念願叶って再び安土を訪ねて登城しました!

この日はお天気ににも恵まれて良かったです。

石垣 

平成の発掘で石垣がでたんです、
昔は土に埋もれていたんです、
大手道もあんなに広くはなかったんです、石段ではなかたんですよ。
滋賀県の発掘でよくなりました、安土の城。
でもいまは近江八幡市、安土の町はなくなっているんです。
  • そば打ちおじさん 
  • URL 
  • 2014年05月15日 01時06分 
  • [編集]
  • [返信]

そば打ちおじさんへ 

発掘は現在進行形なのですね。
大手道は、石段なので歩きやすかったですが、上に行くにつれて山道になり、しかも雨上がりだったため、途中からは歩きにくかったです。でもそれが本当の姿なのですよね。

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
151位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
24位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析

右サイドメニュー