大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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井伊直親の娘・高瀬姫(2)彦根の長純寺の高瀬姫の墓

高瀬姫は、徳川家康の命令で、異母弟・井伊直政の家臣になった川手良則(かわて よしのり)と結婚します。

さて、この川手良則というお方。

関ヶ原の戦いの時は、直政の代わりに直政の居城・高崎城を守り、彦根藩では4000石の家老となりました。

しかし、養子の川手良列が、大坂夏の陣の若江の戦いで討死。

大老・井伊直弼は藩祖・直政の姉の家系が良列の息子の代で断絶していてしまったことを惜しんで、甥に川手家を再興させたといいます。

川手良則
父は今川氏家臣として岡崎城城代を務めた山田景隆。山田氏は三河の川手城(愛知県豊田市川手町)を居城としていた。
良則は今川氏滅亡後は武田氏に仕え、山県昌景配下として名を挙げた。
武田氏滅亡後は徳川氏家臣となり、天正10年(1582年)に徳川家康の命で井伊直政の姉の高瀬姫を娶り、直政に仕える。井伊家中では一門筆頭として、筆頭家老格の木俣守勝よりも席次は上であった。知行は2500石で、後に4000石となる。関ヶ原の戦いでは高崎城城代として留守を守った。松平康安の子の川手良列を養子として跡を継がせたが、元和元年(1615年)に大坂夏の陣の若江の戦いで良列は戦死し、その遺児の川手良富も寛永5年(1628年)に若年で早世したため、同家は無嗣断絶となった。
幕末の嘉永6年(1853年)に井伊直弼の命で、新野親良の子の河手良貞により川手(河手)家は再興された。(Wikipediaより)


彦根の長純寺高瀬姫の墓があります。

IMG_8817 長純寺

IMG_8819 高瀬姫

IMG_8820 長純寺

江戸中期の彦根藩士で俳人として知られる森川許六(きょりく)の墓もあります。

森川許六
江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。
(Wikipediaより)

IMG_8821 森川家

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井伊直親の娘・高瀬姫


松源寺は、井伊直虎の許婚である亀之丞(井伊直親)が今川氏から命を狙われ、松岡氏の庇護のもと匿われた寺です。

IMG_6490 松源寺

松源寺が創立されたのは、永正8年~10年頃(1511~1513)とされ、開基は松岡城主・松岡貞正、開山は貞正の実弟・文叔瑞郁禅師


IMG_6410 松源寺

当時の寺は、牛牧村の寺山に建てられました。
その後、消失、移転、再建を繰り返し、現在の本堂は明治33年(1900)に再建されたものです。

山門は、江戸時代中ごろ大風で倒壊しましたが、残った部材を使い再建され、現在、高森町有形文化財に指定されています。

IMG_6474 松源寺

IMG_6429 松源寺 山門

IMG_6488 松源寺

本堂
IMG_6398 松源寺

今川義元に命を狙われていた亀之丞は、渋川の東光院に身を潜めましたが、そこでも命を狙われ、南渓和尚が自浄院(龍潭寺の前身)の住職を務めた文叔瑞郁禅師が開山した伊那谷高森町の松源寺に逃げるように指示しました。
亀之丞は、松源寺で、9歳~20歳までの12年間を過ごしました。そこで、亀之丞は、松源寺の住職から学問を教わり、松岡城の侍たちから武術や弓馬の稽古をつけられて育ちました。

IMG_6404 松源寺

亀之丞が松源寺で匿われている間、亀之丞は、故郷を偲んで「青葉の笛」を吹いていました。
そして、笛の師匠であった島田村(現・飯田市松尾)の代官・塩澤氏の娘・千代との間に女子が生まれたという説があります。

その娘の名は高瀬姫.。
井伊直政の異母姉に当たります。

亀之丞が井伊谷に戻る時は、高瀬姫だけを連れ、祝田の屋敷で共に暮らしたといいます。

(高瀬姫の出生については、諸説あり、井伊谷で生まれたという説も。)

また、飯田では、塩澤氏の娘との間に男の子・吉直もいて、吉直には一振りの短刀を託し島田村に残したとの説もあります

吉直は、母の実家の塩澤家で養育され、数代後に、飯田城下大横町で、麹屋を創業し、そこで、旧姓・井伊氏を名乗り、吉右衛門を襲名、代々嶋田屋を屋号とし、飯田藩御用達として栄えました。明治初年に井伊誠一郎氏は蘭医学を志し、麹屋を別家に委ね、今なお続いているとのこと。

IMG_6558 嶋田屋

亀之丞が息子に託した短刀は、家宝として伝わっているそうです。

20歳になった亀之丞は井伊谷に戻り、井伊直親を名乗り、虎松(後の井伊直政)を儲けます。


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豊橋の旅(3)安久美神戸神明社 家康の腰掛け松

安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)

IMG_8537 安久美神戸神明社

天慶3(940)年、平将門の乱平定の報賽として、朱雀天皇より伊勢神宮に三河国の飽海荘(あくみのしょう)が寄進され、その際、伊勢神宮祭主の庶流大中臣基守がこの地の司として赴き、天照皇大神を奉斎して地域の繁栄を祈願したのが当社の始まりと伝えられています。当社の社名は、この地域「安久美(あくみ)」の「神戸(かんべ・伊勢神宮の神領地)」に創建された「神明社(しんめいしゃ・天照皇大神を祀る神社)」という意味です。
やがて、武家政治が台頭すると、戦国武将からの厚い庇護を受けるようになり、今川氏は、社殿の造営をはじめ、社領・太刀・祭礼に用いる神面等の奉納など、非常に篤い尊崇を寄せました。永生2(1500)年、今川氏親は牧野古白に命じて今橋城(吉田城)を築く際、社殿を改築して城内鎮護・鬼門守護の神「城内神明宮」として奉斎。
以来歴代の城主(藩主)の恭敬も篤く、式年の造営・神宝の奉納等、参拝・御祈祷など折々に行われ、明治に至るまで受け継がれました。
 
明治18(1805)年、旧社地(現豊橋公園)が陸軍用地となったのに伴い、現在の地に奉遷されました。
現在の社殿は昭和5(1930)年に造営されたもので、平成22(2010)年には国の登録有形文化財に指定されました。
(安久美神戸神明社HPより)

IMG_8552 安久美神戸神明社

IMG_8551 遙拝所

境内には、徳川家康ゆかりの松があります。

東照宮(家康公)御腰掛松
IMG_8548 東照宮 腰掛け松

IMG_8547 東照宮 腰掛け松

鬼の像がこちらを見ていました(^_^;

IMG_8539 安久美神戸神明社

当社は天下の奇祭鬼祭(おにまつり、国の重要無形民俗文化財)で知られる。メインの天狗と鬼のからかいは平安時代から舞われていたユーモラスな有名な田楽であり、本来大晦日に行う年越しの神事であった。昭和43年(1968年)からは、祝日(建国記念の日)である2月11日を本祭として、その前日(2月10日)とともに祭礼日としている。現在の祭礼の赤鬼と天狗の御面は、昭和15年(1940年)に神社創建1千年と皇紀2600年を祝って作られたものであるが、それまでの御面は当時三河国吉田を治めていた今川義元が寄進したものといわれる。(Wikipediaより)

IMG_8540 安久美神戸神明社

IMG_8541 安久美神戸神明社

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