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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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寛永寺 徳川家康・吉宗・慶喜を祀る上野東照宮 

上野東照宮の正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜を祀っています。

1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内に多くの伽藍や子院が建立しました。

1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。

現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦でも被害を免れた貴重な江戸初期の建築物です。

大石鳥居
IMG_0893 上野東照宮

1633年(寛永10年)酒井忠世奉納。国指定重要文化財。
石材には備前の御影石が使用され、関東大震災の際にも少しも傾かなかったそうです。

神門
IMG_0895 上野東照宮

石灯籠
20140512_713038.jpg

200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年1651年(慶安4年)に諸大名より奉納されたものです。

旧寛永寺の五重塔
IMG_1066 五重塔

旧寛永寺五重塔(重要文化財)
寛永8年(1631年)建立の初代の塔が寛永16年(1639年)に焼失した後、同年ただちに下総・古河城主 土井利勝によって再建されたまし。塔は旧境内地を使って作られた恩賜上野動物園の園内に位置しており、1958年に寛永寺が東京都に寄付したため、現在の所有者は東京都になっているそうです。(Wikipediaより)

銅灯籠
IMG_1061 銅灯籠

IMG_1059 銅灯籠

IMG_1056 狛犬

IMG_1057 狛犬

IMG_1058 狛犬

IMG_1060 手水舎

IMG_1065 上野東照宮

IMG_1064 上野東照宮

唐門
IMG_1010 上野東照宮

1651年(慶安4年)造営。国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門。

IMG_1051 上野東照宮

IMG_1055 唐門

透塀
IMG_1050 透塀

1651年(慶安4年)造営。国指定重要文化財。
菱格子の向こう側が透けて見えるので、透塀と呼ばれています。

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寛永寺 清水観音堂

上野公園内の西郷隆盛銅像の近くに清水観音堂があります。

IMG_1079 清水観音堂

清水観音堂は、寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海大僧正は寛永2(1625)年に、徳川秀忠から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開き、比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺(きよみずでら)を見立てたお堂です。

IMG_1078 清水観音堂

IMG_1077 清水観音堂

清水寺本堂と同様の懸造(かけづくり)建築で、初めは上野公園内の擂鉢(すりばち)山に建てられましたが、元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まり、その工事に伴い、元禄7(1694)年9月に現在地に移築されました。

IMG_1076 清水観音堂

いわば清水寺のミニチュア版のような感じですが、上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物です。

3 20140510_710162

舞台もこの通り。

IMG_1074 清水観音堂

堂内には、彰義隊上野戦争図の巨大絵馬が飾られています。

彰義隊 上野戦争図
絵馬の画像:台東区文化ガイドブックより

1 20140510_710160

2 20140510_710161

月の松は、明治初期の台風の被害により、永らく失われていましたが、平成24年(2012)12月に復元されました。

平成2年12月から文化財保存修理が行われ、平成8(1996)年10月に竣工、元禄移築時の面影が再現されています。

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上野恩賜公園の彰義隊の墓

新政府軍に敗退した彰義隊266体の遺骸は、官許を得た円通寺の仏磨和尚寛永寺の御用商人であった三河屋幸三郎によって火葬され、荒川区の円通寺に合葬されています。

上野恩賜公園彰義隊の墓は、埋葬場所でなく、火葬された場所です。

IMG_1088 彰義隊士の墓

IMG_1090 彰義隊士の墓

彰義隊
明治維新期,旧幕臣が編成した反政府集団。慶応4 (1868) 年4月江戸城は平和裡に東征軍 (官軍) に明渡されたが,江戸には鳥羽・伏見の敗戦以来,官軍に対する徹底抗戦を叫ぶ旧幕臣が,同年2月彰義隊を結成していた。その数は 3000人に達し,渋沢成一郎が頭取となり,彼の脱隊後は副頭取天野八郎が実権を掌握した。彼らは上野東叡山住職輪王寺宮公現法親王 (こうげんほっしんのう) を擁し,市中警備を名として,寛永寺一帯を屯所とした。長州藩の大村益次郎を総指揮者とする東征軍は軍資金の不足から衝突を回避していたが,5月 15日の資金調達を待って一斉攻撃をかけ,ただちに陥落させた。首領天野は市中で捕えられ,敗走者は輪王寺宮とともに奥州に逃れた。 (コトバンクより)

IMG_1091 彰義隊士の墓

彰義隊の墓(しょうぎたいのはか)
戦闘後、上野には200名を超える彰義隊士の遺骸が残った。徳川家の菩提寺であった芝増上寺や縁故者等が引き取りを申し出たが、官はこれを容れなかったという。南千住(現:荒川区)の円通寺の二十三世仏麿和尚と、寛永寺の御用商人であった三河屋幸三郎がこれを見兼ね、戦死者を上野で荼毘に付したうえ、官許を得て遺骨を円通寺に埋葬した(上野公園内「彰義隊墓表之来由」)。円通寺には近親者などが墓碑を相次ぎ建立、上野では1869年(明治2年)、寛永寺子院の寒末松院と護国院の住職が密かに「彰義隊戦死之墓」と刻んだ墓碑を地中に埋めたが、表立って彰義隊を供養することは憚られる状況が続いた。
1874年(明治7年)に元彰義隊士の小川興郷などの願が許可され、翌1875年(明治8年)に上野で彰義隊の墓が建立された。以降、小川家が墓守を務め、上野では大規模な法会が毎年営まれている。1881年(明治14年)には旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」を碑銘とする墓碑が新たに加わった。彰義隊を「賊軍」とみなす人々からの風当たりによる資金難、墓地の所有権を巡るトラブルなどはあったものの、戊辰戦争における立場を超えて彰義隊士を慰霊しようという環境は次第に好転し、現在に至っている。(Wikipediaより)

IMG_1089 彰義隊士の墓

(台東区有形文化財) 上野公園一番

 江戸幕府十五代将軍徳川慶喜は大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻った。東征軍(官軍)や公家の間では、徳川家の処分が議論されたが、慶喜の一橋家時代の側近達は慶喜の助命を求め、慶応四年(一八六八)二月に同盟を結成、のちに彰義隊と称し、慶喜の水戸退隠後も徳川家霊廟の警護などを目的として上野山(東叡山寛永寺)にたてこもった。
 慶応四年五月十五日朝、大村益次郎指揮の東征軍は上野を総攻撃、彰義隊は同夕刻敗走した。いわゆる上野戦争である。彰義隊士の遺体は上野山内に放置されたが、三ノ輪円通寺(現、荒川区南千住)の住職仏磨らによって当地で茶毘に付された。
 正面の小墓石は、明治二年(一八六九)寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに付近の地中に埋納したものだが、後に堀り出された。大墓石は、明治十四年(一八八一)十二月に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立。彰義隊は明治政府にとって賊軍であるため、改府をはばかって彰義隊の文字はないが、旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を大きく刻む。平成二年に台東区有形文化財として区民文化財台帳に登載された。
台東区教育委員会

IMG_1093  彰義隊士の墓

IMG_1092 彰義隊士の墓

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